していた狐つきなどの説話が、全く無意識の中に狂気と同時にその人の頭脳の中に一種の強迫観念となって生息し出し、その説話の命令通りに行為させる。
 この時は狐に化かされている時の状態と同じで丁度酔漢が酔った時に多《おおく》の人の為すべき行為を、自己命令でやる心理とよく似ている。狂人というものは無意識の中に、人とちがった事、狂った事を狂った事とする意識を持っているもののように思う。
 即ち狐つきが油揚げを急に好きになったり、大食をしたりするが、大食の方はそういう狂気の性質もある、だが油揚げの方は正に病気前の見聞が暗示となったものである。何となれば肉食獣である狐は必ずしも油あげを殊に好くものではないからである。
 とにかく狐が化かすという説は日本が主のようであるがその元は支那か印度あたりにあるものかもしれないがよくは知らぬ。
 心理学はちっとも知らないのだからちがっていたら御かんべん御かんべん。

     鬼について

 鬼というものは東西両洋、その他世界中に大ていあるようだ、多少ずつの変化はあろうけれど。
 しかし、支那における鬼の観念は支那らしいへんに実感的なきみのわるいものである、日本
前へ 次へ
全25ページ中21ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 劉生 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング