、また全然狐が化《ばか》すという事実を知らぬ外国にもある現象にちがいない。
 この状態に入るのは一種の催眠状態から入るものらしく、余の知っている某老人の仕立職《したてしょく》が、余が幼時の家である銀座通りの店へ入ろうとして、店の前まで来てどうしても入る事が出来ず行き過ぎ引きかえしてまた入れず、かくする事四回にしてようやく気がついて、「狐につままれ」たといいつつ入って来た事を覚えているが、これらは全く一種の自己催眠で、どうしても入れぬという観念を何かによって自己自身で自己に与えたためにそうなったらしい。
 ともかく催眠術をかけるのは催眠状態に入らしめて、後に暗示を与え、その暗示通りになるというのだそうだが、この狐に化されるのもそれに適合している。即ち化かされるものは、狐が化るという事をどこかで信じているか疑っていてももし本当なら恐《こわ》いという恐怖を割に持っているかどっちかの人であって、そういう人が山道とか、畑道とかを通る。かねがね物の本でみたり人に聞いたりした狐に化かされた人の話やその痴態やらを思い出す。あの田の中へ入っておお深い深いといっていたそうだなど思っているところへ、狐か、狐
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