の味は、へんに生きたようなきびのわるいところにある。短身で、頭がひどく大きく、色は白く、口があかい。こういう奴はどこかにいそうな感じがある。
一体目というものはミスチックなものだ、近代フランス美術界[#「美術界」に丸傍点]で名うて[#「名うて」に丸傍点]の、ルドンも一時|盛《さかん》に目の玉をかいたものだ。大きな目の玉だけが、空中に太陽のように輝いている図などもあったが相当にミスチックなへんな夢のような感じがとらえてあった。彼は一つ目をもっと端明に、エキスプレスして表現したものだといえる。
しかし東洋の一つ目の方がどうもリアリスチックでへんに味が濃く、きみが悪いと思う。
日本妖怪の病的感
日本妖怪の感じは概して病的である、前項にちょっと一つ目小僧の感じが奇形児に似ている事をかいたが、古い画巻《えまき》の中に図の如き妖怪を描いてあるのを江馬務《えまつとむ》氏の著の中にみた事がある。これらは全然アルコールづけの奇形児である。
[#挿絵(fig46521_03.png)入る]
この事は一見古人が、妖怪を表現するために、自分のみた病人や奇形児からヒントを得てその形をかりた
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