感[#「実感」に丸傍点]を、その時々の感じに応じて様々に具象させたもので、画工の想像力によってよりぴったりとその「怪」「魔」「鬼気」等の無形の実感を表現させたものである。
 更にまた、われわれは、物象を一つじっと見ているとその実在感が変に神秘的に見え、時によるときみ悪くみえて来る事がある。妖怪変化の中、器物に手足が生《は》え顔が生じたり、している奴があるが、これらはそういう実感を具象したものである。
 幽霊の方はどっちかいうと、幽霊の幻覚がモティフになっているから足がないのであるが、これに反して、妖怪に足のあるのは、それが全然、想像的な創作だからである。殊に、目のないところに目をつけたり手や足を生やすことが一つの「怪」の気持をなすからで、此処へ行くと幽霊の方が、リアリスチックであるが、またそれだけに「怪」としての味ではポピュラーである。

     一つ目小僧の味

 私は一目小僧という妖怪を、妖怪創作家としての日本民族の一つの大なる傑作だと思っている。
 ちょっと考えると、この妖怪は少しも恐ろしい事はないむしろ滑稽《こっけい》な幼稚な想像のように思えるが、その人はまだ一つ目小僧の本質
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