応挙以後である。徳川中期以後である。
 その前の化けものの画はまだ完全に幽霊をモティフにしたものはなく、大てい妖怪をモティフにしている。
 これは、画の描き方の変遷によるのであって、徳川中期以後にはつまり、幽霊の幽霊らしさを描く技法なり、画の傾向なりが適して来たから、さてこそ、幽霊画というモティフも、おのずと生れて来たわけで、画法の変遷と、モティフの興廃とは有機的に混一しているものである。徳川中期以前はつまり、その画法なり画的興味なりが、むしろ妖怪を生むのに適切であったと思える。
 さて、前おきが長くなったがところで幽霊には足のない方がより実感的であるという訳は解ったはずである。それなら何故幽霊に足がないか。
 この事を話す前に、私は私の見た幽霊の事を話そう。それは無論、半分夢のさめかけた時にみた幻覚だが、八、九年前私は夜中、ふと、自分のねている蒲団《ふとん》の裾《すそ》の方に、髪をおどろにふりみだした女が、手を以て顔を掩《おお》うているのを見た。驚いて、ひとみをこらす中《うち》意識がはっきりして来たらそれは夢の一種のつづきで、襖《ふすま》をもれる隣室の電気の光を、夢でみていたものとむ
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