が、その中にただ、盥《たらい》の中から青白い手の出るところがある。これはちょっと怪《もののけ》の感じが出ている、『四谷怪談』中の唯一の怪味であろう。『源平《げんぺい》布引《ぬのびき》の滝《たき》』で女が腕を生んだといって、青白い腕がしきりに活躍する芝居があるがあれもちょっとグロテスクだ。こういう風に、日本の妖怪には切りはなされた肢体《したい》を非常に実想的にとりあつかってある。これらも「病的感」「不具感」である。
 ともかくも日本妖怪の味は概して、生々とした、病的感、癈頽《はいたい》した生きものの感じを持つ、或るものは癩《らい》病を思い出すように鼻などがなくつるりとしている。これは全くきみ悪い感じである。一つ目小僧などは正にその一つであろう。
[#挿絵(fig46521_04.png)入る]
 また、のっぺらぼう[#「のっぺらぼう」に傍点]、またはぞべら[#「ぞべら」に傍点]と呼ばれるところの妖怪がある。或る時は非常に美しい御姫様または奥女中風の後姿をしているが、それがふとふり向くと目も鼻も口も何もない、顔をしている。その風姿は必ずしもきまってはいないが、ともかくも顔の道具をすべて持たない妖怪であるが、これらも一種の奇形感、病気感、を持っている。きみの悪い味である。
 外に、撞木《しゅもく》娘といって、美くしい町娘の風をしていて、顔が丁度、撞木の形、即ち丁字形であって、丁の横の棒の両端に目がついていて中央に赤い口を持ち鼻はない。撞木|鮫《ざめ》という魚に似ているがやはり色は真白できみが悪い、これらも同前の感じである。
 ぞべらも、その撞木娘もともに多く美装した娘であるが、これがまたへんに凄い不思議な謎《なぞ》の味を持っていると思う。

     狐にばかされるという事の合理的の解釈
      附 狐附きの考

 これは誰れでも考えついている事かもしれないが私が一通りすじ道を立て、自分でも合理な説明と思えるのでかく事にした。
 狐にばかされるという事実は実際にある事であろう。しかし、それはそういう結果があるのでその元因は何も狐がそれを本当に行うのではない。
 一口にいえばこれは自己催眠の民族的一殊異現象という事が出来る。
 即ち、一時的に狂態を演ずるところの痴呆《ちほう》状態になる一種の病的現象というものは、狐が化かすという口碑伝説の伝《つたわ》らない以前の日本にも
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