あるということは、今日何人も疑わぬところである。ところがここに最も興味あることは、この「曙の人」になると、たしかに道具を造っていたと言い得らるるという事である。現に先に述べた頭蓋骨《ずがいこつ》の出たその地層からただ一つだけ燧石《プリント》が発見されたが、おもしろいことには、その石器は自然のままの物ではなくて、確かに造られたものである。しかし細工は片面に施してあるだけで、製造された石器の中では最も幼稚なものだということである。(オスボーン前掲書一三五ページ)。
 さてだいぶ余談にわたったようだが、私がここに五十万年前ないし三十万年前の猿《さる》とも人ともわかりかねるような人間の話をして来たのは、諸君に次の事実を承認してもらうためである。それは今日いうところの人間なるものと、道具を造るということとは、きわめて密接な関係をもっているということである。前に述べたごとく、五十万年前の猿の人と称せらるる者は、はたして道具を造っていたかどうか、それには確かな証拠はないのである。ところがそれよりもはるかに今日の人間に近い三十万年ないし十万年前の曙の人と称せらるる者になると、これは確かに道具を造っているのである。しかしそれと同時に、その道具というのは、製造された道具の中では最も幼稚なもので、すなわち『曙の人』の造った道具は、やはり「曙の道具」とでもいうような物なのである。
[#『曙の人』と『猿の人』の模型の写真(fig18353_08.png)入る]
[#左図の解説文、底本では横組み]
左図はマグレゴア氏の製作に成る『曙の人』の模型にして英国サセツクス州にてその遺骨を発見されし約十万年ないし三十万年前の人の面影である。
[#左図の解説文終わり]
[#右図の解説文、底本では横組み]
右図はおなじくマグレゴア氏の製作になる『猿の人』の模型にして,本文中に記載しおけるがごとく,ジャバにてその遺骨を発見されし約五十万年前の人の面影である。
[#右図の解説文終わり]
 私はこれより以上道具の歴史を述べることを控えておくが、要するにわれわれが人間進化の歴史を顧みると、人間というものは人間らしくなるほど、それにつれて次第に道具らしい道具を作ることになって来ているのである。そうして人間の経済が、今日他の動物社会の経済と比較すべからざる程度の発達をなすに至ったのも、ひっきょうはこの道具のたまものにほかならぬのである。[#地から1字上げ](十月十四日)

       六の一

 人間がほかの動物と比較すべからざる経済的発達を遂ぐるに至りし根本原因が、はたして私の言うがごとく、道具の発明にありとするならば、近代に至りその道具がさらに一段の発展を遂げて機械となるに至りしことは、実に経済史上の一大事件といわねばならぬ。もしそれ機械の力の驚くべきものなる事は、今さら私の説明をまたざるところである。試みに尋常小学読本巻の十一を見るにいわく「昔の糸車にて紡《つむ》ぐ時は、一本の錘《つむ》に一人を要すべきに、今はわずかに六七人の工女にてよく二千本の錘を扱うを得《う》べし。加うるにかの蝋燭《ろうそく》の心《しん》とする太き糸、蜘蛛《くも》の糸のごとき細き糸、細大意のままにして、手紡ぎのごとく不ぞろいとなることなし。機械の力は驚くべきものにあらずや」と。しかも今日西洋において最も進歩せる機械にあっては、一人の職工よく一万二千錘を運転しうるという。さればこれを紡績の一例について見るも、機械の発明のためにわれわれの生産力は一躍して千倍万倍に増進したわけである。
 機械の効果の偉大なることかくのごとし。思うにわれわれは、その昔かつて道具の発明により始めて禽獣《きんじゅう》の域を脱し得たりしがごとく、今や機械の発明によって、旧時代の人類の全く夢想だもし得ざりし驚くべき物質的文明をまさに成就せんとしつつある。しかして私は、このまさに成就されんとする新文明のたまものの一として、貧乏人の絶無なる新社会の実現を日々に想望しつつある者である。
 私は遠くさかのぼりて道具の人類進化史上における地位を稽《かんが》え、転じて近代における機械の偉大なる効果を思うごとに、今の時代をもって真に未曾有《みぞう》難遭《なんそう》の時代なりとなすを禁じ得ず。されば一昨昨年(一九一三年)の末始めてロンドンに着き、取りあえず有名なウェストミンスター寺院《アベー》を訪問して、はからずもゼームス・ワットの大理石像を仰ぎ見たる時なども、私は実に言うべからざる感慨にふけった者である。仰ぎ見れば、彼ワットはガウンを着て椅子《いす》に腰を掛け、大きな靴《くつ》をはいて、左の足を後ろに引き、右の足を前に出し、紙をひざにのべ、左手《ゆんで》にその端をおさえ、右手《めて》にはコンパスを握っている。そうして台石の表面には、次のような文字が彫り付けてある。
[#ここから1字下げ]
「この国の国王、諸大臣、ならびに貴族平民の多くの者どもが、この記念像をゼームス・ワットのために建てた。そは彼の名を永遠に伝えんとてにあらず、彼の名は平和の事業にして栄ゆる限り、かかる記念像をまたずして必ずや永遠に伝わるべきものである。むしろこの像は人間が……彼らの最上の感謝に値するところの人々を尊敬することをわきまえているという証拠を示すためにのみ、ただ建てられたものである。」
[#ここで字下げ終わり]
 彼ワットとは言うまでもなく蒸気機関の発明者である。しかしてこの蒸気機関の発明者こそ機械時代の先駆者の一人であってみれば、彼の名は実に人間にして滅びざる限り永遠に伝わるべきものである。
 ウェストミンスター寺院《アベー》には、ダーウィンがいる、ニュートンがいる、セークスピアがいる、そうしてまたこのワットがいるのである。寺院《アベー》のすぐ前は、ロンドンで最もにぎやかな場所の一つたるトラファルガル・スケアであって、そこには空にそびゆる高い高い柱の頂上に、ネルソン将軍が突き立っている。昔トラファルガルの海戦でスペイン、フランスの連合艦隊を一挙にしてほとんど全滅させ、自分もその場で戦いに倒れた英国海軍の軍神ネルソン卿《きょう》の銅像が、灰色の空に突き立って下界を見おろしているのである。そのネルソン卿の見おろしている下の広場は、自動車や人間の往来に目もくらむばかりであって、道一ツ横切るにも私たちのようないなか者はいつもひやひやしたものである。カフェーにはいると、地下室になっている。そこへ腰を掛けて茶を飲んでいると、天井の明かり取りのガラス板の上をおおぜいの人が靴《くつ》を踏み鳴らしながら通る。その騒々しさにはわれわれの神経もすり減らされるような気持ちであるが、さて戸を一つあけて寺院の内にはいると、たとえば浅草《あさくさ》の公園でパノラマ館にはいったよう、空気はたちまち一変して、外の騒々しさはすべて拭《ふ》いたように消されてしまって、寺院の内は靴音さえ慎まれるほどの静けさである。私はそういう空気の中で彼ワットの像を仰ぎ見ながら、低徊《ていかい》去るあたわず、静かにさまざまの感想にふけったものであるが、今またこの物語を草して機械のことに及ぶに当たり、ゆくりなくも当時を追懐して、ここに無用の閑話に貴重なる一日の紙面をふさぐに至りし次第である。[#地から1字上げ](十月十五日)

       六の二

 私は先に機械のことを述べ、今日《こんにち》は機械の発明のために、仕事の種類によっては、われわれの生産力が数千倍数万倍に増加したことを説いた。しかるにもかかわらず、その機械の応用の最も盛んなる西洋の文明諸国において、――すでにこの物語の冒頭に述べしごとく、――貧乏人の数が非常に多いというのは、いかにも不思議の事である。富める家にはやせ犬なしとさえ言うものを、経済のはるかに進んでいる文明諸国のことなれば、金持ちに比べてこそ貧乏人といわれている者でも、必ずや相応の暮らしをしているに相違あるまいと思うのに、なかなかそうではなくて、肉体の健康を維持するに必要な所得さえ得あたわぬ貧乏人が非常に多いというのは、実に不思議千万なことである。
 今私はこの不思議を解いてなんとかして貧乏根治の方策を立てたいと思うのであるが、この問題についてはすでに百年来有名なマルサス人口論というものがあるから、他の諸説はしばらくおくとするも、議論の順序として、まずこの人口論だけは片付けておかねばならぬ。
『人口論』の著者として有名なるマルサスは今から百五十年前英国に生まれた人で、その著『人口論』の第一版は、今から約百二十年前一七九八年に匿名にて公にされたものである。氏の議論はその後『人口論』の版を改むるに従うて少なからず変化されておるから、簡単にその要領を述ぶることは不可能であるが、ここには便宜のためにしばらく初版につきその議論の大意を述べる。氏の意見によれば、色食の二者は人間の二大情欲である。しかしてわれわれ人間は、色欲を満足することによりてその子孫を繁殖し、食物を摂取することによりてその生命を維持しつつあるが、今その生活に必要なる食物の生産増加率は、到底人口の繁殖率に及ばざるものである。されば人間という動物があくまでも盛んに子を産み、しかもその人間を育てるにはどうしても食物が必要だという以上、さまざまの罪悪や、貧乏のために難儀するのは、われわれの力でいかんともすることのできぬ人間生まれながらの宿命だというのである。
 さてこの人口論がもし真理であるならば、貧乏根治を志願の一としてこの世に存命《ながら》えおるこの物語の著者のごときは、書を焼き筆を折って志を当世に絶つのほかはないが、幸いにして私の見るところはマルサスとやや異なるところがある。けだしマルサスの議論は、かりに人間全体が貧乏しなければならぬという事の説明となるとしても、かの同じ人間の仲間にあって、ある者は方丈《ほうじょう》の食饌《しょくせん》をつらね得、ある者は粗茶淡飯にも飽くことあたわざるの現象に至っては、全くこれを説明し得ざるものである。いわんや最近百余年の間において、機械の発明は各方面に行なわれ、その著しきものにあっては、ために財貨生産の力を増加せしこと、実に数千倍数万倍に達しつつある。いかに人口の繁殖力が強ければとて、到底この機械の発明にもとづく生産力の増加に匹敵すべくもない。されば百数十年前人口論の初めて世に公にされし当時ならばともかく、二十世紀の今日にあっては、財貨の生産力が人口の繁殖力に及ぶことあたわざるをもって、貧乏の根源となさんとするがごときは、当たらざるもまた遠しと言わなければならぬ。しからばなんのためにかの多数の貧民はあるか。請う回を改めて余が見るところを述べしめよ。[#地から1字上げ](十月十六日)

       七の一

 道具の発明によって禽獣《きんじゅう》の域を脱し得た人間が、機械の発明された今日、なお貧苦困窮より脱しあたわぬというは、一応は不思議な事である。しかしよく考えてみると、不思議でもなんでもなく、実は有力な機械というものはできたけれども、その機械の生産力が今日では全くおさえられてしまって、充分にその力を働かせずにいるのである。物を造り出す力そのものは非常にふえているけれども、その力がおさえられて充分に働きを現わさずにいるから、それでせっかく機械の発明された世の中でありながら、われわれ一般の者の日常の生活に必要ないわゆる生活必要品なるものの生産が、著しく不足しているのである。これをたとうれば、立派なストーブを据え付けながら、炭を吝《おし》んで行火火《あんかび》ほどのものを入れ、おおぜいの人がこれを囲んで、冬の日寒さに震えつつあるがごときものである。
 あるいはこの点を誤解して、今日は機械ができたためにわれわれの生活に必要な品物はすでに豊富に造り出されているけれども、その分配が悪いために、ある少数の人の手に余分に分捕《ぶんど》られ、それがために残りの多数の人々は食うものも食わずに困っているのである、というふうに考えている者もあろうが、それは大きな間違いである。
 たとえば今日の日本にでも充分に食
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