せるもの全国において四十一個所、次の年度には八十一個所、その次の年度には九十六個所、さらにその次の一九一〇年より同一一年にわたる年度には百二十三個所になっている。もって英国におけるこの種の経営の大勢を知るに足らん。(以上述べたる英国の事情はもちろん、その他欧米諸国における小学児童食事公給問題の由来及び現状については、ブライアント氏『校営食事*』及び金井《かない》博士在職二十五年記念論文集『最近社会政策』中に収めある拙稿「小学児童食事公給問題」を参照されたし)。
[#地から1字上げ](十月一日)
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
* Bryant, School Feeding, 1913.(前出)
[#ここで字下げ終わり]

       四の一

 さて以上述べたるところは、貧乏が児童の発育の上に及ぼす弊害の一斑である。しかるに、元来貧乏が人の肉体及び精神の上に大害を及ぼすという事は、必ずしも小学児童に限られているわけではない。それゆえ、同じ英国について言っても、貧乏を退治するがためには、前に述べたる食事公給条例の趣旨に類したるようの事をば、近ごろは各種の方面にわたり盛んに実行しつつある。私はこれを名づけて貧乏神退治の大戦争という。そうしてこの戦争は、今度の世界戦争以上の大戦争で、たとい今日の世界戦争は近くその終わりを告ぐるとするも、それに引き続き諸国において盛んに行なわるべき大戦争だと信じている。
 しからば前に述べた小学児童に対する食事公給のほかに、同じ英国においてはなお他にはたしていかなる政策を実行しつつありやというに、そは実に各種の方面にわたり、到底これをここに列挙することあたわざれども(くわしくは大正六年一月発行『国家学会雑誌』第三十一巻第一号に掲載されある小野塚《おのづか》博士の「現代英国の社会政策的傾向」を見られよ)、ただその一例を示さんがために、前には児童のことにつき述べたれば、ここにはさらに老人のことについて一言を費やすであろう。
 貧乏なる老人の保護のためには、今日の英国には養老年金条例というものがある。これは一九〇八年五月二十八日に下院に提出され、大多数をもって通過し、上院においては種々の議論ありたれども、ついに同年七月三十日に無事通過し、かくて同年十月一日法律として発布さるるに至りしものである。
 私は今くわしくこの法律の規定を述ぶるいとまをもたぬが、またその必要もない。一言にして言えば七十歳以上の老人には国家に向かって一定の年金を請求するの権利ありと認めたること、これがこの法律の要領である。原案には六十五歳とありたれども、経費の都合にてしばらく七十歳と修正されたのである。今この法律についてわれわれの特に注意すべき点は、年金を受くることをば権利として認めたことである。人は一定の年齢に達するまで社会のために働いたならば、――農夫が五穀を耕作するは自分の生活のためなれども、しかしそのおかげで一般消費者は日々の糧《かて》に不自由を感ぜざることを得《う》る、鉱夫の石炭を採掘するもまた自己の生活のためにほかならざれども、しかしそのおかげでわれわれは機械を動かし汽車を走らせなどすることを得る、この意味において、夏日は流汗し冬日は亀手《きしゅ》して勤苦《きんく》労働に役《えき》しつつある多数の貧乏人は、皆社会のために働きつつある者である、――年を取って働けなくなった後は、社会から養ってもらう権利があるという思想、この思想をこの法律は是認したものなのである。それゆえ、たとい年金を受くるも、法律はその者を目して卑しむべき人となさず、またなんらの公権を奪うことなし。これ従来の貧民|救恤《きゅうじゅつ》と全くその精神を異にするところにして、かかる思想が法律の是認を経《ふ》るに至りたる事は、けだし近代における権利思想の一転期を画すべきものである。年金を受くる資格ある者は、年収入三十一ポンド十シリング(約参百拾五円)に達せざる者にして、その受くるところの年金額は収入の多少によりて等差あれども、年収入二十一ポンド(約弐百拾円)に満たざる者は、すべて一週五シリング(一個月拾円余)の割合にてその年金を受く。これがこの法律の規定の大要である。[#地から1字上げ](十月二日)

       四の二

 私は英国近時における社会政策の一端を示さんがため、先に小学児童に対する食事公給条例のことを述べ、今また養老年金条例のことを述べおえた。私はなおこれ以上類似の政策を列記することを控えるが、言うまでもなくこの種の施設はいずれも少なからざる経費を必要としたもので、現に養老年金の一例に徴するも、一九〇七年の実数によれば、当時七十歳以上の老人は全国において百二十五万四千人あり、かりにすべてこれらの者に一週五シリングずつを支払うとせんか、その経費の総額は一個年実に壱億六千参百余万円の巨額に達するの計算であった。これ英国近時の財政が急に膨脹せざるを得ざるに至りしゆえんであって、現に一九〇八年度の予算編成に当たっては、主として海軍拡張及び養老年金法実施のため約壱億五千万円の歳入不足を見るに至ったものである。ここにおいてか時の大蔵大臣ロイド・ジョージはやむを得ず一大増税計画を起こし、土地増価税、所得税、自動車税、煙草税《たばこぜい》等の新設または増徴を企てたものである。ただその課税おのずから富者に重かりしがゆえに、当時の予算案は議会の内外において騒然たる物論を惹起《じゃっき》し、ついにはローズベリー卿《きょう》をして「宗教も、財産権も、また家族的生活も――万事がすべて終わりである*」と絶叫せしむるに至ったものである。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
* It is the end of all things−−religion, property, and family life.
[#ここで字下げ終わり]
 ロイド・ジョージ氏がかの有名なる歴史的の大演説を試みたのは、実にその時である。当時彼が前後四時半にわたる長い長い演説をまさに終わらんとするに臨み、最後に吐いた次の結語は、これまで私の述べきたった諸種の事情を背景として読む時は、多少当時の光景を活躍せしむるに足るのみならず、また時務を知るの俊傑がいかに貧乏を見つつあるやを知るの一助たるべしと思うがゆえに、――過月氏が軍需大臣より陸軍大臣に転任したるおり、すでに一たびこれを引用したるにかかわらず、――余は本紙の編集者び読者諸君が、余をして重ねてここにこれを訳載するの自由を有せしめられん事を懇望する。その語にいわく
[#ここから1字下げ]
「さて私は、諸君が私に非常なる特典を与えられ、忍耐して私の言うところに耳傾けられたことを感謝する。実は私の仕事は非常に困難な仕事であった。それはどの大臣に振り当てられたにしても、誠に不愉快な仕事であったのである。しかしその中に一つだけ無上の満足を感ずることがある。それはこれらの新たなる課税はなんの目的のために設けられたかということを考えてみるとわかる、けだし新たに徴収さるべき金は、まず第一に、わが国の海岸を何人にも侵さしめざるようこれを保証することのために費やさるべきものである。それと同時に、これらの金はまた、この国内における不当なる困窮をば、ただに救済するのみならず、さらにこれを予防せんがために徴収さるるものである。わが国を守るため必要な用意をばすべて怠りなくしておくということは、無論たいせつなことである。しかしながら、わが国をしていやが上にもよき国にして、すべての人に向かってまたすべての人によりて守護するだけの値うちある国たらしむることは、確かにまた同じように緊要なことである。しかしてこのたびの費用はこれら二つの目的に使うためのもので、ただその事のためにのみこのたびの政府の計画は是認せらるるわけである。人あるいは余を非難して、平和の時代にかくのごとき重税を課することを要求したる大蔵大臣はかつてその例が無いと言う。しかしながら、諸君(全院委員長エモット氏の名を呼べるも、訳して諸君となしおく)、これは一の戦争予算である。貧乏というものに対して許しおくべからざる戦いを起こすに必要な資金を調達せんがための予算である。私はわれわれが生きているうちに、社会が一大進歩を遂げて、貧乏と不幸、及び必ずこれに伴うて生ずるところの人間の堕落ということが、かつて森にすんでいた狼《おおかみ》のごとく、全くかの国の人民から追い去られてしまうというがごとき、よろこばしき時節を迎うるに至らんことを、望みかつ信ぜざらんとするもあたわざるものである。」
[#ここで字下げ終わり]
 語を寄す、わが国の政治家。欧州の天地、即今戦報のもたらす以外、別に這箇《しゃこ》の大戦争あるを看過されずんば、洪図《こうと》を固むるは諸卿《しょけい》の業《わざ》、この物語の著者のごときはすなわち筆硯《ひっけん》を焼き、退いて書癡《しょち》に安んずるを得ん。[#地から1字上げ](十月三日)

       五の一

 以上をもって私はこの物語の上編を終え、これより中編に入る。冬近うして虫声|急《すみや》かなる夕《ゆうべ》なり。
 今日の社会が貧乏という大病に冒されつつあることを明らかにするが上編の主眼であったが、中編の目的はこの大病の根本原因の那辺《なへん》にあるかを明らかにし、やがてこの物語全体の眼目にして下編の主題たるべき貧乏根治策に入るの階段たらしむるにある。
 ロンドン大学教授エドウィン・キャナン氏はその著『富』に序して
[#ここから1字下げ]
「経済学の真の根本問題は、われわれすべてが、全体として、今日のごとき善《い》い暮らしをしているのは、――善《い》い暮らしをしていると言うのが悪ければ、悪い暮らしをしていると言うてもいいが、――それは何ゆえであるかということと、われわれのうちある者は平均よりはるかに善《い》い暮らしをしており、他の者ははるかに悪い暮らしをしておるのは何ゆえであるかということと、この二つである*。」
[#ここで字下げ終わり]
と言っているが、一句よく斯学《しがく》の本領を道破して遺憾なきものである。今余はこの二大問題中の後者を説明するがためいささかさかのぼりて前者に言及するのやや避け難きを感ずる。諸君、請う吾人《ごじん》をしてしばらく人間を去って、蟻《あり》の社会を観察するところあらしめよ。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
* Edwin Cannan, Wealth, 1915.
[#ここで字下げ終わり]
 蟻の一種に葉切り蟻という者あり、熱帯地方に繁殖す。フォルソム『昆虫学《こんちゅうがく》』に記載するところを見るに
[#ここから1字下げ]
「この種は非常の多数にて生活し、数時にして樹枝に一葉をとどめざるに至るものにして、園芸家はこの恐るべき蟻に対しては施すべきの策なし。実にこの蟻の多き地方にてはオレンジ、コーヒー、マンゴー、その他の植物の栽培不可能なりという。この蟻は地下きわめて深く巣をうがち発掘せる土をもって垤《とう》を造る。時に直径三四十尺に及ぶことあり。しかして諸方面に巣より付近の植物に通ずる道路を設く。ベルト氏はしばしばこの蟻が巣より半マイルを隔てし地において働きつつあるを目撃せりという。この蟻の攻撃するは主として植物の葉なれども、その他花、果実、種子をも害す。うんぬん」(三宅《みやけ》、内田《うちだ》両学士訳本、五三九ページ以下)。
[#ここで字下げ終わり]
とあり。さらにブラジルにて特にこの蟻につき研究したるベーツ氏の記載せるところを見るに、
[#ここから1字下げ]
「一つ一つの蟻は木の葉の表に止まっていて、その鋭い剪刀《はさみ》のような口で、木の葉の上方をばほぼ半円形に切って行き、そうしてその縁を口にくわえ、パッと急に引いてその片《きれ》をもぎ取る。時とすると、こうして切り取った葉をば土地の上に落とす。そうするとそれがだんだん土地の上に積まれて行くのを、他の蟻が来てそばから次々にと持ち運ぶ。しかし普通には、その切り取った葉をば
前へ 次へ
全24ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
河上 肇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング