走ッの生活状態をも政府の手によりて引き続き支配することとなり、かくてドイツにおいては一個の社会主義的国家が実現されんとしつつある。すなわちただに一般食料品の価格が政府によりて公定せられおるのみならず、穀物、馬鈴薯《ばれいしょ》、鉄道及び全国の工場も約六割までは、すべて政府の手によりて支配されておる』と述べてある。英国及びフランスにおいても、形勢は同じ方向に進みつつある。げに有力なる観察者のすでに久しく非難しつつありし個人主義的の、競争的の資本家制度は、戦争の圧力の下においては到底維持しうべからざる経済組織なることをば、これら諸国の政府は今や実際に認めて来たのである。元来個人主義的の経済組織は平時においても等しく維持しうべからざるものなので、この事は遠からず一般に認められて来るだろうと思うが、ことに戦後起こるべき新たなるかつ困難なる事情の下においては必ずそうなる事と信ずる*。」
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* James Haldane Smith, Economic Moralism, 1916, Preface, p. 12.
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これによって見れば、軍国主義によって支配されつつあるドイツは、今や一個の社会主義的国家となりつつあると言うのである。私は原文に社会主義とあるから、ここにも社会主義と訳しておいたが、多数の読者にとっては、あるいは国家主義と訳した方が了解に便宜かとも思うのである。いずれにしても、ドイツが開戦以来実行しつつある社会主義なるものは、決して非国家主義ないし無政府主義的のものにあらざること、――及び私が先に、国家主義は一にこれを社会主義というもさしつかえなしと述べたることも――おそらくすべての読者の異議なく是認せらるるはずだと信ずる。……戦争の最中にカイザーが非国家主義や無政府主義を実行するはずはないのだから。
そこで私は今一つ、だんだん長くなるけれども、今度はドイツ人自身の感想を録して、きょうの話を終わりたいと思う。本年発行の『|社会政策及び立法に関する年報《アンナーレン・フュール・ゾチアレ・ポリチーク・ウント・ゲゼッツゲーブング》』第四巻(第五冊及び第六冊|合綴号《がってつごう》)を見ると、ミュンスター大学教授プレンゲ氏の「経済発展の階段*」と題する一論があるが、その冒頭には次のごとく述べてある。
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「われわれは、一九一四年という年は経済史上の一転機を画するもので、全く新たなる時代が、われわれの経済生活の上に、この年とともに始まったものと考えざるを得ざるに至った。そうしておそらくわれわれは、この新たなる時代をば、第十九世紀に行なわれた資本主義に対し、社会主義の時代と称せざるを得ぬであろう。」[#地から1字上げ](十二月二日)
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* Plenge, Wirtschaftsstufen und Wirtschaftsentwickelung. (Annalen f. soc. Pol. u. Gessetzg., IV. Bd. 5 & 6 Hft. S. 495.)
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十の二
開戦以来ドイツが経済上の経営において着々国家主義を実行しつつあることは、すでに諸君の熟知せらるるところと思うが、話の順序だから、その一例として、パン及びパン用穀物につきドイツの実行したる政策の一斑を述べんに、ドイツ政府は昨年(一九一五年)の一月二十五日にまずパン用穀物及び穀粉類の差し押え及び専売を断行している。当時の布告文に「連邦参議院の決定により全帝国を通じてすべての種類のパン用穀物及び穀粉はこれを差し押うることとす。……すべてのパン粉は町村団体に対しその給養すべき人口の割合に応じて分配すうんぬん」とあるが、すなわちそれである。かくのごとく全国にわたってパンの原料を国有とすると同時に、これが分配に関しては、すべての人民を通じて一日一人の消費量をば二十五グラムと定め、これに馬鈴薯《ばれいしょ》の澱粉《でんぷん》を加えて一週間二キログラムの割合をもって給付することに決定したのである。かのパン切符などいう制度もこれがために起こったのであって、上は皇室及び皇族家を始めとし下は庶民に至るまで、すべて家族数に応じてパン切符の配付を受け、この切符なくしては何人もパンを口にすることができなくなったのである。東京大学の渡辺《わたなべ》教授はこれを評して「まさしく政府の権力をもってする社会主義の実行である」と言っておられるが(同氏著『欧州戦争とドイツの食料政策』九八ページ)、社会主義の語が避けたければ、これを国家主義の実行と言ってもよいのである。
これはただ一例を示しただけであるが、今日のドイツには、産業上すべての方面にわたって、かくのごとき国有主義、国営主義が実現されつつあるものと見て、大過はない。
さすがの英国でも、ゼー・エチ・スミス氏の言ったごとく、だいたいは同じ方向に趨《はし》りつつある。たとえば去月(十一月)十九日発のルーター電報を見ると(同二十日の『大阪《おおさか》朝日新聞』掲載)英国にも食料品条例というものができて、すべての食料品の浪費を禁じ、各食料品につきその消費限度の量目を設定すること等の権限が、商務院の管掌事務として認められたということである。昨年(一九一五年)の一月からドイツの実行している事を、英国ではこのごろになってそれに着手したわけなのである。
いかに国民の生活必要品でも、その供給をば営利を目的とせる私人の事業に一任しておいては、遺憾なく全国民に行きわたるべきものではない。また奢侈品《しゃしひん》の生産はいたずらに一国の生産力を浪費することにより、いかに国民全体の上に損害を及ぼすものなりとはいえ、余裕のある人々が金を出してこれを買う以上、営利を目的とせる事業家は、争うてこれが生産に資本と労力とを集中する。そは従来の経済組織をもってしては、とかく避け難きことである。そこで貧乏撲滅の一策として、経済組織改造の論が出るのであるが、幸か不幸か、ドイツもイギリスもフランスも、国運を賭《と》するの大戦に出会ったために、今や一挙にしておのおのその経済組織の大改造を企てつつある。
思うに収穫の時期はすでにきたれり。アダム・スミスによりて産まれたる個人主義の経済学はすでにその使命を終えて、今はまさに新たなる経済学の産まれいずべき時である。見よ、世界の機運の滔々《とうとう》として移りゆくことを。語にいう、千渓万壑《せんけいばんがく》滄海《そうかい》に帰し、四海八蛮帝都に朝すと。古今を考えかつ東西を観《み》る、また読書人の一楽というべし。噫《ああ》。[#地から1字上げ](十二月四日)
十の三
皆が一生懸命になって、一国の生産力をできるだけ有効に使用しようとまじめに考えて来れば、従来の経済組織はおのずから改造されて来ねばならぬ。大戦|勃発《ぼっぱつ》後八方に敵を受けたドイツが、開戦後まもなく率先して経済組織の大改造を企てたのも、ひっきょうはこれがためである。従来多数の人々が見てもって机上の空論となし単に思索家の脳裏に描きし夢想郷に過ぎずとなせしところのものを彼はたちまちにして実現しきたったのである。思うに開戦当時は、半年もたたぬうちに必ず経済的破産に陥るべしと予期されたドイツが、今に至るもなお容易に屈せざるは、主としてこの新組織の力にまつ。真にわが国家の前途を憂うる者は、戦時におけるドイツ這個《しゃこ》の経営について大いに学ぶべし。もしそれその新組織を名づけて、あるいは社会主義なりとなし、あるいは国家主義なりとなすがごときは、ひっきょう名の争いのみ。名の異なるをもってその実を怪しむがごときは、おそらく識者のなすべき事ではなかろう。
もちろん現時のわが国においては、貧富の懸隔は決して西洋諸国のごとくはなはだしくなってはいない。しかし余のいわゆる貧乏線以下に落ちている人間は、今日といえども決して少なくはあるまいと思わるると同時に、他方には何か事件のあるごとに、巨万の富を積める者は次第にその富を百倍にし千倍にしつつある。もし病はすべて膏肓《こうこう》に入るを待って始めて針薬を加うべきものとせばともかく、いやしくもしからざる以上、われわれは事のさらにはなはだしきに至らざるに先だち、よろしく今日において十二分の考慮を積むべきである。
もっともわが国においても、郵便、電信、鉄道等はすでに国営事業となり、塩、煙草《たばこ》、樟脳《しょうのう》等もまた政府の専売になっている。また水道、電燈、電車等の事業にして、地方公共団体の経営に成れるものも少なくはない。さればこの上さらに公営事業を拡張することとなれば、個人にとっては次第に金もうけの仕事が減るので、一部の実業家にはずいぶん反対もあるであろうが、しかしほんとうに考うれば、一部の実業家を利するよりも、国民全体を富ます方が得策な場合がはなはだ少なからぬであろう。
私は論じてなお尽くさざるところがきわめて多い。しかし私は今この物語の終結を急ぐがゆえに、遺憾ながら適当の順序を経ずして直ちに根本問題に入ろうと思う。
ここに根本問題というは、いわゆる経済組織の改造なるものは、これをもって貧乏退治の根本策中の最根本のものとなすことを得《う》るかという問題である。しかして読者にしてもしこの問題をもって今私に迫られるならば、私は直ちにこれに答えて否という。
なにゆえというに、少し事を根本的に考えてみるならば、いくら組織や制度を変えたらよいと言ったところが、それだけの仕事を負担する豪傑が出て来なければだめだからである。しかるに「茫々《ぼうぼう》たる宇宙人無数なれども、那個《なこ》の男児かこれ丈夫」で、天下の大事を負担する豪傑はそう容易に得らるるものでない。また幸いにしてそういう豪傑が出て来て、制度やしくみを変えようと試みたとしても、まず社会を組織せる一般の人々の思想、精神が変わって来ていなければ、ことに今日のごとき輿論《よろん》政治の時代においては、容易にその制度なりしくみなりが変えられるものではない。またたとい時の勢いをもってしいて制度やしくみを変えてみたところが、その制度しくみを運用すべき人間そのもの、国家社会を組織している個人そのものが変わって来ぬ以上、根本的の改革はできるものではない。これをたとうれば、社会組織の善悪は寿司《すし》の押し方に巧拙あるがごときものである。押し方が足りなければ米粒はバラバラになって最初から寿司にならぬが、しかしあまり強く押し過ぎても寿司は固まって餅《もち》になってしまう。しかしいくらじょうずな押し方をしても、材料がまずくてはやはりうまい寿司はできぬ。そこで押し方のくふうも無論肝要だが、それと同時にこれが材料に注意して、米だの肴《さかな》だの椎茸《しいたけ》だの玉子焼きだの酢や砂糖などをそれぞれ精選しなければならぬ。私はこの意味において、政治家の仕事よりも広い意味の教育家の仕事をば、組織の改良よりも個人の改善をば、事の本質上、より根本的だと考える者である。
[#地から1字上げ](十二月五日)
十の四
話を少し他に転ずるが、一八八九年ロンドン船渠《ドック》の労働者が同盟|罷業《ひぎょう》をして世間を騒がしたことがある。ところが元来これらの労働者はすべて烏合《うごう》の衆で、なんら有力な労働組合を組織していなかったものである。さればせっかく同盟罷業は企てたものの彼らはたちまち衣食に窮してじきに復業するだろうとは、当初世人一般の予想であった。しかるにその時思いがけものう、はるかに海を隔てた豪州から電報で参拾万円を送った者があって、そのおかげで労働者はついに勝利を制した事がある。
豪州の社会党がなんら利害の関係を有せざるロンドン船渠《ドック》の労働者に向かって参拾万円を寄贈したというこの一事件は、豪州社会党及びその背後における一人物ウ
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