間引き続いて過度の勉強思索にふけったのであるから、はなはだしくその健康を害するに至ったのは、自然のなりゆきのようでもあるが、しかしそれにしても、彼は当時毎年充分の年金を得ていて、衣食のためにはかつて心を労する必要がなかった上に、おいおい年をとって来たとはいえ、ロンドンに向かって出発する時はまさに五十歳に過ぎなかったのである。いくら過度の勉強思索にふけったとはいえ、旅中にいつ死ぬかもしれぬと感ずるまでに弱り果てたというのは何ゆえであるか。これがすなわち私の疑問であって、私はこれに一応の解釈はつけながら、今日までなお充分の満足を得ざりし者である。しかるに近ごろになって私はようやくこの疑問を全く氷釈し得たるがごとくに思う。
 けだしスミスは元来倫理学者である。その倫理学者が倫理学者として経済問題の攻究に従事しておるうちに、彼は経済上における利己心の活動を是認することにより、ある意味において、経済上におけるいっさいの人の行為を倫理問題の埒外《らちがい》に推し出したものである。かくて彼は倫理学以外に存立しうる一個独立の科学としてわが経済学を建立し、自らその初祖となったものである。すなわちカーコゥディーにおける蟄居《ちっきょ》六年間の彼の仕事は、倫理学者としての殻《から》を打ち割り、自己多年の面目を打破し、自己の力により自己の身を化して有史以来いまだかつて有らざりしところの全く新たなる種類の学者たる経済学者なるものを産み出さんがための努力であったのである。この意味においてアダム・スミスはわが経済学の創設者である。正統経済学の第一祖である。
[#地から1字上げ](十一月二十九日)

       九の五

 アダム・スミス以前にも、貨幣、商業及び土地の改良等につき有力なる論著は少なからずあった。しかしながら、これらのものは皆当面の事件をただ時事問題として取り扱ったのであるから、いずれも一時的のかつ離れ離れの、相互の間になんらの連絡統一なきものであった。それをばスミスは利己心是認の思想をもって連絡統一し、これに向かって組織的の解釈を下したので、それが彼の生命の大半を奪った仕事であった。しかし彼自身の生命が失われたために、死んだ離れ離れの材料に生命が流れて、始めて経済学という一個独立の学問が産まれたのである。彼が今日に至るもなお経済学の父と呼ばるるはこれがためである。
 彼は各個人が各自の利益を追求することを是認し、これになんらの束縛を加えず、自然のままにこれを放任することによりて、始めて社会の繁栄を期し、最大多数の幸福を実現するを得《う》べしとしたのである。しかしてかの経済上における自然主義、楽天主義、自由主義、個人主義ないし自由競争主義等、およそ英国正統経済学派の特徴と見なすべき許多の色彩は、多くは皆|如上《じょじょう》の根底より発しきたれるものである。
 スミス論じていわく「人間はほとんど絶えず他人の助力を必要とするが、しかしただ単に他人の恩恵によりてこれを得んとするも、決してその望みを達することはできぬ。これに反し、もしこれを他人の自利心に訴え、自己が他人に向かって要求するところのものを、他人が自己のためになしくるるは、すなわち彼ら自身の利益なることを知らしむるならば、容易にその目的を達し得らるるであろう。……われわれの飲食物は、肉屋、酒屋、パン屋等の恩恵にまつにあらずして、ただ彼らが彼ら自身の利益を重んずるがためにととのえらるるのである。われわれは彼らの慈善心に訴うるにあらず、ただ彼らの自利心に訴う。われわれは彼らに告ぐるに、決してわれわれ自身の必要をもってするにあらずして、ただ彼らの利益をもってするのみである。」(『国富論』キャナン校訂本、巻一、一六ページ*)。
[#ここから1字下げ、折り返して2字下げ]
* Wealth of Nations, Cannan's ed., vol. 1, p. 16.
[#ここで字下げ終わり]
 彼はかくのごとく、産業上社会万般の経営は皆これを各個人の利己心の活動にまつと観ぜしがゆえに、経済政策上においては、一二の例外を除くのほか、すべて官業に反対して民業を主張し、保護干渉に反対して自由放任を主張したものである。すなわち論じていわく「さればいっさいの保護干渉を取り去り、かくて自然的自由という明白簡単なる制度をして自然に樹立するところあらしめよ。しかしてこの制度の下においては、各人は、正義の法を犯さざる限り、自己の欲するがままにおのれ自らの利益を追求し、各個人は、他の何人の事業及び資本に対しても、自己の事業及び資本をもって競争することにつき全然その自由に放任さるるであろう。」(同上巻二、一八四ページ)。
 私はスミスの思想についても、これをここに詳しく語るの余裕を有せぬが、わが賢明なる読者は、以上掲げし一二の抄録によって、その個人主義のほぼいかなるものなるかを推知せらるるであろう。
 思うに個人主義、放任主義の広く人心を支配すること久し。しかれども、今や『国富論』の公刊をさることまさに百四十年、たまたま世界|未曾有《みぞう》の大乱起これるを一期として、諸国の経済組織はまさにその面目を一変せんとしつつある。
 これそもそも何がゆえぞ。吾人《ごじん》にしてもし個人主義の理論的欠陥を知るを得ば、おのずから時勢の変のもとづくところを知るを得ん。請う吾人をしてその一斑を説くところあらしめよ。
[#地から1字上げ](十一月三十日)

       九の六

 余ひそかに思うに、アダム・スミスの誤謬《ごびゅう》の第一は、氏自ら「経済学の大目的は一国の富及び力を増加するにあり」(『国富論』キャナン校訂本、巻一、三五一ページ)と言えるによっても明らかなるがごとく、もっぱら富の増加を計ることのみをもってすなわち経済の使命なりとなせし点である。けだし富なるものは元来人生の目的――人が真の人となること――を達するための一手段にほかならざるがゆえに、その必要とせらるる分量にはおのずから一定の限度あるものにて、決して無限にその増加を計るべきものではない。これと同時に、これを社会全体より見れば、富の生産が必要なると同じ程度において、その分配が当を得ていることが必要である。もしその分配にして当を得ず、ある者は過分に富を所有して必要以上にこれを浪費しつつあるにかかわらず、ある者ははなはだしくその必要を満たすあたわざるの状態にありとせば、たとい一国全体の富はいかに豊富に生産されつつあるも、もとより健全なる経済状態といい難きものである。しかも富の生産をばその分量及び種類に関しこれを必要なる程度範囲に限定し、かつその分配をして最も理想的(平等というと異なれり)ならしめんとするがごときことは、現時の経済組織をそのままに維持し、すべての産業を民業にゆだね、かつ各事業家をしてもっぱら自己の利益を追求するがままに放任しおきたるのみにては、到底その実現を期しうべきものではない。
 アダム・スミスの誤謬《ごびゅう》の第二は、貨幣にて秤量《ひょうりょう》したる富の価値をば、直ちにその人生上の価値の標準としたことである。氏は一国内に生産せらるる貨物の代価を総計した金額が多くなりさえすれば、それが社会の繁栄であって、これよりよろこぶべき事はないと考えたのである。しかして世間の事業家は、別に国家から命令し干渉することなくとも、ただ自己の利益を追求するがために、互いに競争してなるべく値段の高く売れる貨物を作り出すに決まっているから、もしわれわれが社会の経済的繁栄を計らんとするならば、すべてこれを私人の利己心の最も自由なる活動に一任しておくに限ると考えたのである。
 しかし、すでに中編にて説明したるがごとく、最も高く売れる物が生産されて行くという事は、ただ社会の需要が最もよく満足されて行くという事に過ぎない。しかるにいわゆる需要とは、購買力を伴うた要求ということである。ただ金持ちの要求というだけのものである。しからば単に需要によりてのみ一国の生産力を支配し行くことの不合理なるは言うまでもない。第一に、要求のあるに任せてこれを満たすということは、必ずしも社会公共の利益を計るゆえんではない。おおぜいの者の要求のなかには、これを満たすことが本人のためになんらの益なきのみならず、他人のためにも害を及ぼすものが少なくない。次に、各種の要求のうち、そのいずれを先にすべきやを定むるに当たっても、単に需要の強弱(すなわちその要求者の提供しうる金額の多少)をもってのみその標準となさんとするは、分配の制度にして理想的となりおらざる限り、決して理想的に社会の生産力を利用するゆえんの道ではない。
 以上述べたるところは、個人主義の理論上の欠点である。もしそれ、現代経済組織の下における利己心の束縛なき活動が、事実の上において悲しむべき不健全なる状態を醸成し、かくて一方には大厦《たいか》高楼《こうろう》にあって黄金の杯に葡萄《ぶどう》の美酒を盛る者あるに、他方には襤褸《らんる》をまとうて門前に食を乞《こ》う者あるがごとき、いやしくも皮下多少の血ある底《てい》の者が※[#「挈」の「手」に代えて「心」」、107−14]乎《かいこ》として見て過ぐるあたわざる幾多悲惨の現象をいかにわれらの眼前に展開しつつあるやの実状に至っては、余すでにこの物語の上編においてその一斑を述ぶ。請う読者自ら前後を較量して、今の世に経済組織改造の論のようやく勢いを得んとすることの決していわれなきにあらざるを察知されん事を。[#地から1字上げ](十二月一日)

       十の一

 現代経済組織の下において個人主義のもたらせし最大弊害は、多数人の貧困である。しかも今日の経済組織にして維持せらるる限り、しかして社会には依然として貧富の懸隔を存し、富者はただその余裕あるに任せて種々の奢侈《しゃし》ぜいたく品を需要し行く限り、到底この社会より貧乏を根絶するの望みなきがゆえに、ついに経済組織改造の論いずるに至る。詳しくいえば、貨物の生産をば私人の営利事業に一任しおくがごとき今日の組織を変更し、重要なる事業は大部分これを官業に移し、直接に国家の力をもってこれを経営し行くこと、たとえば今日の軍備のごとくまた教育のごとき制度となさんとするの主義すなわちこれにして、余は先の個人主義に対して、かりにこれを経済上の国家主義という。学問上よりいわば、国家は社会の一種に過ぎざれば、国家というよりも社会という方もとより意義広し。されば個人主義に対するものは、これを名づけて社会主義といいおきてさしつかえなき道理なれども、わが国にては、そが一種特別の危険思想を有する者によりて唱道されたるためにや、通例社会主義なる語には一種特別の意義が付せられ――西洋にてもまた同様の傾向あれども、概していえば今日この語の意義は全く確定せず、従って社会主義はほとんど何物《エブリー・シング》をも意味すとさえ称せられつつあるが――そは経済組織の基本として国家の存在を認めず、もっぱら労働者階級の利益を主眼として世界主義を奉じ、はなはだしきは無政府主義を奉ずるもののごとく思惟せられつつあるに似たるがゆえに、余はこれと混同せられんことをおそれ、特に社会主義なる語を避けて国家主義という。ひっきょう個人主義、民業主義に対する合同主義、官業主義をさすにほかならぬのである。余はこの点において読者が――数十万の読者がことごとく――なんらの誤解をされざらん事をせつに希望するものである。
 さて諸君がもし以上の説明をすなおに受け入れられるならば、私は進んで、次の一文を諸君に紹介する。
 ゼームス・ハルデーン・スミスという人が本年(一九一六年)公にしたる『|経済上の道徳《エコノミック・モラリズム》』と題する序言の付記。――
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「以上の序文を書いた後、事件の進行を見ていると、ヨーロッパの交戦国は次第にその産業をば広き範囲にわたって合同主義の上に組織することになった。ドイツの場合が特にそうである。現にドイツ筋から出た一記事には、『開戦以来ドイツの軍国主義は、
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