》に帰る時に、慨然として心にいたむ事有りて、一夜これを燈下に草《そう》して里人にあとう」と言いて『生財弁』一巻(『通俗経済文庫』第二巻に収む)を著わす。その中にいう「貧《まず》しきと賤《いや》しきとは人の悪《にく》むところなりとあらば、いよいよ貧乏がきらいならば、自ら金持ちにならばと求むべし、今わが論ずるところすなわちその法なり、よっていっさい世間の貧と福とを引き束ねて四通りを分かつ、一ツには貧乏人の金持ち、二ツには金持ちの貧乏人、三ツには金持ちの金持ち、四ツには貧乏人の貧乏人」。すなわちこの説に従わば、貧乏人には金持ちの貧乏人と貧乏人の貧乏人との二種あることとなる。
 今余もいささか心にいたむ事あってこの物語を公にする次第なれども、論ずるところ同じからざるがゆえに、貧乏人を分かつこともまたおのずから異なる。すなわち余はかりに貧乏人を三通りに分かつ。第一の意味の貧乏人は、金持ちに対していうところの貧乏人である。しかしてかくのごとくこれを比較的の意味に用い、金持ちに対して貧乏人という言葉を使うならば、貧富の差が絶対的になくならぬ限り、いかなる時いかなる国にも、一方には必ず富める者があり、
前へ 次へ
全233ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
河上 肇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング