他方にはまた必ず貧しき者があるということになる。たとえば久原《くはら》に比ぶれば渋沢《しぶさわ》は貧乏人であり、渋沢に比ぶれば河上《かわかみ》は貧乏人であるというの類である。しかし私が、欧米諸国にたくさんの貧乏人がいるというのは、かかる意味の貧乏人をさすのではない。
貧乏人ということばはまた英国の pauper すなわち被救恤者《ひきゅうじゅつしゃ》という意味に解することもある。かつて阪谷《さかたに》博士は日本社会学院の大会において「貧乏ははたして根絶しうべきや」との講演を試み、これを肯定してその論を結ばれたが、博士のいうところの貧乏人とはただこの被救恤者をさすのであった。(大正五年発行『日本社会学院年報』第三年度号)。私はこれをかりに第二の意味の貧乏人と名づけておく。ひっきょう他の救助を受け人の慈善に依頼してその生活を維持しおる者の謂《いい》であるが、かかる意味の貧乏人は西洋諸国においてはその数もとより決して少なしとはせぬ。たとえば一八九一年イングランド(ウェールズを含む)の貧民にして公の救助を受けし者は、全人口千人につき平均五十四人、すなわち約十八人につき一人ずつの割合であり、六
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