論ずるところは、もちろんやむを得ず強制的に受けさせられている貧乏のことである。
 叙してここにきたる時、私はハンター氏の『貧乏』の巻首にある次の一節を思い起こさざるを得ない。
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「私は近ごろウィリアム・デーン・ホゥエルスに会うてトルストイを訪問したことを話したら、氏は次のごとく述べられた。『トルストイのした事は実に驚くべきものである。それ以上をなせというは無理である。最も高貴なる祖先を有する一貴族としては、遊んでいて食わしてもらうことを拒絶し、自分の手で働いて行くことに努力し、つい近ごろまでは奴隷の階級に属していた百姓らとできうる限りその艱難《かんなん》辛苦を分かって行こうとした事が、彼のなしあとうべき最大の事業である。しかし彼が百姓らとともにその貧乏を分かつという事は、これは彼にとって到底不可能である。何ゆえというに、貧乏とはただ物の不足をのみ意味するのではない、欠乏の恐怖と憂懼《ゆうく》、それがすなわち貧乏であるが、かかる恐怖はトルストイの到底知るを得ざるところだからである*。』……」
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