Hunter, Ibid., p. 1.
[#ここで字下げ終わり]
げに露国の一貴族としてその名を世界にはせしトルストイにとっては、自発的貧乏のほか味わうべき貧乏はあり得なかったのである。
遠くさかのぼれば、昔|慧可大師《えかだいし》は半臂《はんぴ》を断《た》って法《のり》を求め、雲門和尚《うんもんおしょう》はまた半脚を折って悟《ご》に入った。今かかる達人の見地よりせば、いわゆる道のためには喪身失命《そうしんしつみょう》を辞せずで、手足《しゅそく》なお断つべし、いわんやこの肉体を養うための衣食のごとき、場合によってはほとんど問題にもならぬのである。しかしかくのごときは千古の達人が深く自ら求むるところあって、自ら選択して飛び込んだ特種の境界《きょうがい》である。もしわれわれ凡夫がへたに悟ってしいて大燈国師のまねをして、相率いて乞食《こじき》になったり、慧可・雲門にならって皆が臂《ひじ》を切ったり脚《あし》を折ったりした日には、国はたちまちにして滅びてしまうであろう。
思うに貧乏の人の身心に及ぼす影響については、古来いろいろの誤解がある。たとえば艱難《かんなん》なんじを玉にすとか、富
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