条河原《ごじょうがわら》の乞食《こじき》の話は、話ぶりがあまり巧みなので、ついそのまま転載さしてもらう気になったが、もし私の記憶が間違っていなければ、かの大燈国師《だいとうこくし》のごときも同じく五条の橋の下でしばらく乞食《こじき》を相手に修養をしておられたので、その時の作になる
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座禅せば四条五条の橋の上
   ゆき来《き》の人を深山木《みやまぎ》と見て
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という歌は有名なものだということであるが、さてここに注意しなければならぬのは、大燈国師のような偉い人ならばこそ、乞食のまねをしていてもよいけれども、われわれごとき凡夫だと、孟子《もうし》のいわゆる民のごときは恒産《こうさん》なくんば因《よ》って恒心《こうしん》なしで、心も魂も堕落こそすれ、とても明徳を明らかにするちょう人生の目的を実現する方向に進めるわけのものではない、ということである。そこで同じ貧乏を論ずるにつけても、自発的の貧乏すなわち自ら選択して進んで取った貧乏と、強制的の貧乏すなわちやむを得ず強制的に受けさせられている貧乏との区別を充分にしてかからねばならぬ。そうして私のここに
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