gうたあまりは竹縁に流して洗うのだ……。うむ水一滴もそれで死にはせぬ、皆生きて働いたというものだ。陰徳陰徳と古人がたがやかましく言うのもほかではないぞ」。水一滴もむだにしてはならぬという這般《しゃはん》の消息になると、もはや経済論の外に出た話で、本来はこの物語の中に採録すべき記事ではないのであるが、私は事のついでに峨山《がざん》和尚《おしょう》のお師匠に当たる滴水和尚の逸話をもここに簡単にしるしておこうと思う。
滴水和尚かつて曹源寺《そうげんじ》の儀山《ぎざん》禅師に師事されいたるころのことである。ある日禅師|風呂《ふろ》にはいられると、熱すぎるので、滴水和尚を呼んで水を運ぶことを命ぜられた。そこで和尚は何心なくそこにあった手おけを取って、その底にわずかに残っていた一すくいの水を投げ捨てて立ち去ろうとせらるると、浴槽《よくそう》に浸りおられたる儀山禅師、その刹那《せつな》に大喝《だいかつ》一声、ばかッとどなられた。和尚この一喝の下に始めて大いに感悟するところあり、すなわち改めて滴水と号し、爾来《じらい》斯道《しどう》に刻意すること久しく、いよいよますます一滴水の深味を体得す。和尚後年
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