ケし友人の親しく余に物語りしことである。
また蓮如上人御一代聞書を見ると、「蓮如上人御廊下を御通り候うて、紙切れの落ちて候いつるを御覧ぜられ、仏法領《ぶっぽうりょう》の物をあだにするかやと仰せられ、両の御手にて御いただき候としかじか、総じて紙の切れなんどのようなる物をも、仏物《ぶつもつ》とおぼしめし御用い候えばあだに御沙汰《ごさた》なく候うの由、前々住上人御物語候いき」という記事がある。紙切れ一片でもむだには使わぬという立場から見れば、平生貧乏をかこちつつあるわれわれも相応にぜいたくをしていると言わなければならぬ。
峨山《がざん》禅師言行録にいう「侍者師の室前なる水盤の水を替えけるに、師はそのそばにありて打ち見やりたまいしが、おもむろに口を開き、なんじも侍者となりて半年もたつから、もう気がつくだろうと思っていたが、言っておかぬと生涯知らずに過ごす。物はなァ、大は大、小は小と、それぞれ生かして使わねばならぬ。水を替える時は元の水をそこらの庭木にかけてやるのさ。それで木も喜ぶ、水も生きたというものだ。因地の修行をするものは、ここらが用心すべきところだ。また洗面の水なども、ざっと捨てずに
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