A生死《しょうじ》代謝《たいしゃ》の際に臨みて一偈《いちげ》を賦するに当たり、偈中に「曹源《そうげんの》一|滴水《てきすい》、一生用不尽《いっしょうもちうれどもつきず》」の一句をのこされたのもこれがためであるという。
話が自然に横道にそれたきらいがあるが、しかし私がここにこれらの話を引き合いに出してきたのはほかでもない、裏棚《うらだな》に住まう労働者でも水道の水などはずいぶんむだに浪費しうるのであるが、それもやはり一種のぜいたくだということを、読者に考えていただきたいためのみである。私は今一々その場合を例示せぬけれども、おそらく多数の読者は、「私のいう意味のぜいたくは、多少の差こそあれ、金持ちも貧乏人も皆それ相応にしていることである」という私の先の断案をば、否認せらるる事はあるまいと思う。[#地から1字上げ](十二月二十日)
十二の六
私は議論を公平にするために、もし話を厳密にすれば、貧乏人といえどもむだに物を費やしている場合はあるという事を述べた。しかしどうせ余裕のない彼らの事であるから、むだをしたとて貧乏人のは知れたものである。そこで私は再び金持ちの方に向いて
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