ニきに至る。あにただに世間無知の輩とのみ言わんや。時としては一代の豪傑も金のためには買収され、一時の名士も往々にして金のためには節を売り、かくのごとくにしてついには上下こぞって、極端なる個人主義、利己主義、唯物主義、拝金主義にはしるに至る。
思うに這個《しゃこ》の消息は、私がここに今さららしく書きつづるまでもなく、早くより警眼《けいがん》なる社会観察者の看取し得たるところである。今しばらくこれをわが国の古書について述べんか、たとえば、かの『金銀万能丸《きんぎんまんのうがん》』のごときは(後に『人鏡論』と改題され、さらに『金持重宝記《かねもちちょうほうき》』と改題さる、今は収めて『通俗経済文庫』にあり)、今をさる約二百三十年前、貞享《じょうきょう》四年に出版されたものだが、それを見ると、僧侶《そうりょ》と儒者と神道家とが三人寄り合ってしきりに世の澆季《ぎょうき》を嘆いている。それをば道無斎《どうむさい》という男が、そばから盛んに拝金宗を説きたててひやかすという趣向で、全編ができているが、その道無斎がなかなかうがったことを言っている。
まず四人同道で伊勢《いせ》参宮《さんぐう》のために
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