しくも現時の経済組織の下において、多少にても国家の保護干渉を是認し、利己心の自由なる発動になんらかの制御を加えんとするかの国家主義、社会政策のごときは、これを正統学派より見れば、すなわちいずれも皆異端である。
個人主義者はすなわち説いていう。「試みにヨーロッパの世界的都市にきたりて見よ。そこには幾百万の人々が毎朝種々雑多の欲望をもって目ざめる。しかるに大部分の人々はなお深き眠りをむさぼりつつある時、はや郊外からは新鮮なる野菜を載せた重い車をひいて都門に入りきたる者があるかと思えば、他方には肥えたる牛を屠場《とじょう》に引き入れつつある者がある。パン屋ははや竈《かまど》をまっかにして忙しそうに立ち働いているし、乳屋は車を駆《や》って戸々に牛乳を配達しつつある。かしこには馬車屋が見も知らぬ客を乗せて疾走しているかと見れば、ここには来るか来ぬか確かでもない顧客を当てにして、各種の商店が次第次第に店を開き始める。かくて市街はようやく眠りよりさめ、ここにその日の雑踏が始まる。今この驚くべき経営により、幾百万の人々が、日々間違いなく、パンや肉類や牛乳や野菜やビールやぶどう酒の供給を受けて、無事に
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