その果は竜眼《リュウガン》(新村出氏の『辞苑』にその図出づ)の実に似て、熟すれば真赤になり、肉は白くして甘き汁に富む。蘇東坡の潮州韓文公廟碑の終に於《ココニ》餐[#三]茘丹与[#二]蕉黄[#一]としてあるが、この茘丹と云ふのが即ち茘枝の果である。恐らく之は極めて珍らしいものなのであらう。放翁は次のやうな事も書き残してゐる。「予、成都議※[#「巾+莫」、よみは「ばく」、490−16]に参し、事を漢嘉に摂し、一たび茘子の熟するを見る。時に凌雲山、安楽園、皆な盛処。糾曹何預元立、法曹蔡※[#「しんにゅう+台」、第3水準1−92−53]肩吾、皆な佳士。相|与《とも》に同じく楽む。薛許昌、亦た嘗て成都幕府を以て来り郡を摂す。未だ久しからずして罷《や》め去る。故に其の茘枝の詩に曰ふ、歳杪監州曾見樹、時新入座但聞名と。蓋し時に及ばざりしを恨める也。毎《つね》に二君と之を誦す」。更に次のやうな他人の事まで書き誌してある。「余深、相を罷《や》めて福州の第中に居る。茘枝あり初めて実《みの》る。絶大にして美、名づけて亮功紅と曰ふ。亮功は深家御書閣の名なり。靖康中、深、建昌軍に謫せられ、既に行く。茘枝復た実ら
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