ず。明年深帰りしに、茘枝復た故《もと》の如し。云々」。茘枝と云ふものの極めて珍らしきものなることを想像するに足る。
○序に今一つ書き添へておかう。東坡が恵州に謫されてゐた頃の詩に和陶帰園田居六首と題するものがあり、その引の中には「茘子※[#「壘」の「土」に代えて「糸」、第3水準1−90−24]※[#「壘」の「土」に代えて「糸」、第3水準1−90−24]、※[#「くさかんむり/欠」、第3水準1−90−63]実の如し。父老あり、年八十五、指して以て余に告げて曰く、是の食ふ可きに及んで、公、能く酒を携《たづさ》へて来り游ばんかと」としてあるが、更に※[#「くさかんむり/意」、第3水準1−91−30]苡と題する詩の中には、「草木各※[#二の字点、1−2−22]|宜《よろし》きあり、珍産南荒に駢《なら》ぶ。絳嚢茘枝を懸《か》け、雪粉※[#「木+光」、第4水準2−14−63]榔を剖《さ》く」といふ句がある。絳《カウ》はこきあかき色。茘支が真赤に熟したのを、絳《あか》き嚢を懸けたやうだと形容したのであらう。ここにも南荒の珍産としてあるから、暖い南支那以外には滅多に見られないものなのであらう。さて余談
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