《たくみ》と為すも、西崑酬倡集中の詩の如き、何ぞ曾《かつ》て一字の出処なき者あらん、便《すなは》ち以て少陵に追配せんとする、可ならんや。且つ今人の作詩、亦た未だ嘗て出処なきはあらざるも、渠《かれ》自ら知らざるのみ、若し之が箋注を為さば、亦た字字出処あらん、但だ其の悪詩なるを妨げざるのみ。(老学庵筆記、巻七)
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(二十九)
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老杜の薛三郎中に寄す詩に云ふ、上[#レ]馬不[#レ]用[#レ]扶、毎[#レ]扶必怒瞋[#(ス)]と。東坡の喬仝を送る詩に云ふ、上[#レ]山如[#レ]飛瞋[#二]人[#(ノ)]扶[#一]と。皆な老人を言ふ也。蓋し老人は老を諱《い》むが故のみ。若《も》し少壮なる者ならば、扶《たす》けらるるも扶けられざるも与に可、何の瞋《いか》ることか有らん。(老学庵筆記、巻八)
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(三十)
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欧陽公、梅宛陵、王文恭の集、皆な小桃の詩あり。欧詩に云ふ、雪裏花開[#(イテ)]人未[#レ]知、摘[#(ミ)]来[#(リ)]相顧[#(ミテ)]共[#(ニ)]驚疑、便[
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