#(ム)]零落[#(ノ)]蕊《ズヰ》、収[#(メ)]取[#(リ)]作《ナ》[#(シテ)][#レ]香[#(ト)]焼[#(ク)]と。工なりと雖も格卑し。東坡その意を用ひて云ふ、未[#(ダ)][#レ]忍[#(ビ)][#レ]汚[#(スニ)][#二]泥沙[#(ニ)][#一]、牛酥《ギウソ》煎[#(ル)][#二]落蕊[#(ヲ)][#一]と。超然同じからず。(老学庵筆記、巻十)
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(二十三)
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水流天地[#(ノ)]外、山色有無[#(ノ)]中。王維の詩なり。権徳輿の晩渡揚子江の詩に云ふ、遠岫有無[#(ノ)]中、片帆烟水[#(ノ)]上《ほとり》と。已に是れ維語を用ふ。欧陽公の長短句に云ふ、平山闌檻倚[#(ル)][#二]晴空[#(ニ)][#一]、山色有無[#(ノ)]中と。詩人|是《ここ》に至つて蓋《けだ》し三たび用ふ。東坡先生乃ち云ふ、記取酔翁語、山色有無中と。則ち欧陽公この句を創為すと謂ふに似たるは何ぞや。(老学庵筆記、巻六)
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(二十四)
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欧陽公、夷陵に謫せられし時、詩に云ふ、江上孤峰蔽[#二]緑蘿[#一]、県楼終日対[#二]嵯峨[#一]と。蓋し夷陵の県治、下は峡江に臨む、緑蘿渓と名づく。此より上に泝《さかのぼ》れば、即ち上牢下牢関、皆な山水清絶の処なり。孤峰は即ち甘泉寺山、孝女泉及び祠ありて万竹の間に在り、亦た幽邃喜ぶ可し。峡人歳時遊観頗る盛。予、蜀に入る、往来皆な之を過《よ》ぎる。韓子蒼舎人、泰興県道中の詩に云ふ、県郭連[#二]青竹[#一]、人家蔽[#二]緑蘿[#一]と。欧公の句に因《ちな》めるに似て而かも之を失す。此の詩蓋し子蒼の少作、故に云ふところを審《つまびら》かにせず。(老学庵筆記、巻七)
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(二十五)
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荊公の詩に云ふ、閉[#レ]戸欲[#(ルモ)][#レ]推[#レ]愁、愁終[#(ニ)]不[#二]肯[#(テ)]去[#一]と。劉賓客の詩に云ふ、与[#レ]老無[#(キモ)][#二]期約[#一]、到来何[#(ゾ)]等閑[#(ナル)]と。韓舎人子蒼、取りて一聯と作《な》して云ふ、推[#レ]愁不[#レ]去|還《また》相覓、与[#レ]老無[#レ]期稍|見《ル》[#レ]侵[#(サ)]と。
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