たくみ》なりと雖も窘《せま》る。本句に※[#「しんにょう+台」、第3水準1−92−53]《およ》ばず。(老学庵筆記、巻四)
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○放翁六十歳の時の詩に、「独り立つ柴荊の外、頽然たる一禿翁、乱山落日を呑み、野水寒空を倒《さかさま》にす」といふ句がある。

       (十九)
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 呂居仁の詩に云ふ、蝋燼堆盤酒過花と。世以て新となす。司馬温公、五字あり、云ふ、煙曲香尋篆、盃深酒過花と。居仁|蓋《けだ》し之を取れる也。(老学庵筆記、巻四)
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       (二十)

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 唐の韓※[#「雄のへん+羽」、第4水準2−84−90]の詩に云ふ、門外碧潭春洗[#レ]馬、楼前紅燭夜迎[#レ]人と。近世、晏叔原の楽府詞に云ふ、門外緑楊春繋[#レ]馬、床前紅燭夜呼[#レ]盧と。気格乃ち本句に過ぐ、之を剽と謂はざるも可なり。(老学庵筆記、巻五)
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○呼盧とは賭博のことなり。 ○晏叔原、字は幾道、宋人なり。その詞の全文は次の如し。家近旗亭酒易※[#「酉+古」、第4水準2−90−35]、花時長得酔工夫、伴人歌扇懶妝梳。戸外緑楊春繋馬、牀頭紅燭夜呼盧、相逢還解有情無。(放翁の引くところでは、戸外が門外、牀頭が牀前となつてゐる。)
○薛礪若の『宋詞通論』には、晏叔原の詞について、次の如く述べてある。「彼の詞、最も善く詩句を融化す。後期の周美成と正に復た遥々相|映《て》らす。例へば彼の浣渓沙「戸外緑楊春繋馬、牀頭紅燭夜呼盧」の二句の如きは、完全に唐の韓※[#「雄のへん+羽」、第4水準2−84−90]の詩句を用ひ、僅《わづか》に原詩「牀前」の「前」字を将《も》つて一個「頭」字に易へ、而かも用ひ来つて直ちに天衣無縫の如し、云々」。

       (二十一)

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 白楽天云ふ、微月初三夜、新蝉第一声と。晏元憲云ふ、緑樹新蝉第一声と。王荊公云ふ、去年今日青松路、憶似聞蝉第一声と。三たび用ひて愈※[#二の字点、1−2−22]《いよいよ》工《たくみ》。詩の窮り無きを信ず。(老学庵筆記、巻十)
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○王荊公とは既に述べた如く王安石のこと。

       (二十二)

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 唐の王建の牡丹の詩に云ふ、可[#(シ)][#レ]憐[
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