退く様子も見せないので、ボーイはたうとう私に寝台券を見せろと要求した。案に相違して、ちやんと一等の乗車券と寝台券をポケットから出して見せたものだから、彼は無言のまま、渋々ながらも私のために寝台を用意してくれた。私は癪に障つたから三文もチップはやらなかつた。
京都駅に着いて見ると、急に西下した改造社の山本社長が、プラットフォームに立つて私を待ち受けてゐた。駅前には自動車が待たせてあつた。すぐそれに同乗して、氏は私を吉田二本松の寓居に送り込んだ。それから私は東京方面の情報を聴いたに相違ないのだが、どんな話を聞いたのか、今は総て忘れた。
その後改造社から送つて来た何百円かの原稿料は、すぐに返した。四月は大衆雑誌の書入れ時の一つで、どこの社でもいつもよりは部数を余計に刷る。殊にこの時の『改造』は三周年記念特別号として編集されたもので、頁数も多く、部数もうんと増刷された。それがみな駄目になつたのだから、私が改造社にかけた損害は少くない。それを賠償することは出来ないが、相手に大きな損害をかけながら、自分は懐を肥やすと云ふのでは気が済まないから、せめて原稿料だけでも犠牲にしようと、私はさう思つた
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