のである。ところが改造社は東京から一人の記者を寄越して、この小切手だけは納めておいて貰はぬと困るとのことであつた。いくら私が自分の気持を話して見ても、之をそのまま持つて還つたのでは子供の使みたいで立場がなくなると言ひ張り、相手も亦たどうしても折れなかつた。二人は大きな瀬戸物の火鉢を挟んで話してゐたが、私はたうとう癇癪を起して、それなら仕方がない、この小切手は焼いてしまはふと云つて、火にくべかけると、相手は私の手を抑へて、焼いたところで誰の得にもなりません。さうまで仰しやるのなら之は頂いて帰ります、と云ふことになつた。
発売禁止後に起つた事件と云へば、ただそれ位のもので、私は別に免官にもならず、休職にもならず、戒告一つ受けるでもなしに終つた。私が愈々辞表を出さねばならなくなつたのは、昭和三年四月のことで、此時からあとまだ七年の間、私は大学教授として無事に生き延びることが出来たのである。(尤も一等の寝台車の方は、この時が最初で、また最後になつた。)
三
さて「断片」の齎らした波瀾が以上に終つたのなら、私は別にこの思ひ出を書かなかつたであらう。ところが、当時の私はむろん夢想
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