だもしなかつたことだが、この一文は計らずも一人の青年の頭脳に決定的な影響を与へ、それが公にされてから略ぼ二ヶ年半の後には、かの虎の門事件と称される重大事件が起るに至つた。
かねてより革命思想を抱き、至尊に向つて危害を加へ、これによつて天皇制に対する疑惑を民衆の心に植ゑ付けんとの、大胆極まる計画を胸に描きつつあつた難波大助は、「断片」を読んで愈※[#二の字点、1−2−22]その最後の決意をなし、それより熱心にその準備行為に取り掛かつたのである。
彼の郷里は山口県熊毛郡岩田村である。実はその地方の旧家で大地主であり、当時彼の父は衆議院議員に選出されてゐた。故伊藤博文公と古くから近い関係のあつた家で、(伊藤公も亦た熊毛の産である、)家の什器の一つに、往年同公が英京ロンドンで手に入れたといふピストル仕掛けのステッキがあつた。さすがに巧妙に出来てゐて、外形はどう見ても普通のステッキと少しも違はなかつたが、折り曲げて見ると、中には極めて精巧なピストルが装置されてあつた。大助は猟を始めたいからと称して、その使用を父に請うた。かねてから一室にばかり蟄居してゐて、何だか物を考へてゐるらしい様子を見て
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