川均などいふ人が筆にすれば直ぐに発売禁止になるやうなことでも、私は伏字も使はずに平気に書いてゐた。昭和二年末、日本共産党が公然その姿を民衆の前に現はすに至るまでは、日本の資本家階級はまだ自信を失はずに居たので、大学における学問研究の自由については、まだ比較的寛大であつた。それに大正の初年に起された同盟辞職の威嚇によつて京都帝大の贏ち得た研究の自由は、牢乎として此の大学の伝統となり、私は少からず其の恩恵に浴したのである。)
さて山口の一旅館の二階で電報のため眼を覚まさされた私は、愈※[#二の字点、1−2−22]来たなと思つたが、電灯を消すとそのままぐつすり寝込むことが出来た。朝、眼を覚まして、案外落ち着いてゐるなと、自分ながら感心した。
その晩に私は山口を立つた。もうこれで大学教授といふ自分もおしまひだらうし、一生のうち再び機会はあるまいと思つたので、私は一等の寝台車を奮発した。辛うじて発車間際に乗り込んだので、私の慌てた様が物慣れぬ風に見えたのか、それとも私の風采が貧弱であつたためか、寝台車に入ると、すぐボーイがやつて来て、ここは一等だと云ふ。フムフムと返事をするだけで、一向に立ち
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