が、何にしても今は政党員で、内務大臣の鞄持ちをしてゐる男のことだ、面倒なことが起ると云つたところで、首になる位が関の山だ、下手に脅かしに乗つて自分から引込むでもあるまい、私はさう思つて、表面上親切な此の忠言を冷然と黙殺した。また同じ頃に福田徳三君は、私が『社会問題研究』の第四冊を、マルクスの『賃労働と資本』のエンゲルス版の全訳に献げたのを見て、河上は研究の名に隠れて主義の宣伝をしてゐる、内務省はなぜあれを発売禁止にしないのか、などと盛んに咆哮した。でも無事に大正八年が過ぎ、大正九年も過ぎ、今は大正十年三月である。ところで、この頃になると、私は愈※[#二の字点、1−2−22]その筋から、大学教授中の「危険思想家の巨頭」だと極印づけられ、いつ問題にされるか知れない状態になつてゐた。少くとも私の書いたものが発売禁止になつたら最後、その時こそは直ぐに免官になる筈だといふ噂が、まことしやかに立てられて居り、私自身も已にその覚悟を決めてゐた。(私の場合には限らない、総じて大学教授の書いたものが安寧秩序を妨害すと認められ、発売を禁止されると云ふことは、その地位が問題とされる事由となり得る虞れがある。
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