く手に取るやうに話してくれたが、今では記憶がうすれて、以上の程度にしか再現できない。
 私はこの話を聞いて、出獄の暁には、ぜひ一度くだんの墓地を訪ねて見たいと思つて居たが、さて出て見ると、それも思ふやうには行かなかつた。
 最後に私は難波に対する判決文のことを書いておかう。裁判は傍聴禁止のもとに極秘の裡に行はれたから、裁判長が被告に読み聞かせた判決文もまた極秘に附せられた。もちろん司法部その他の高官たちは、総ての事情を聞き知つたであらうが、事は皇室に関する問題であり、殊に被告の態度には皇室の尊厳を汚すものがあつたので、慎み深い高官たちの中には、誰一人として余計なおしやべりなどする者は居なかつた。幸運な私は、おかげで助かつた。もし此の判決文が新聞紙にでも掲載されようものなら、私はとくの昔し甘粕大尉のやうな人に、何遍殺されてゐるか知れないのだ。
 と云ふのは、判決文はごく短いものだが、その一節には、河上肇の「断片」を読みて遂に最後の決意をなし云々といふことが、明記されて居るのである。以前京都帝大の教授をしてゐた頃、親しくしてゐた同僚の一人である××[#「××」に「〔滝川〕」の注記]教授が、
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