務所附属の墓地があつた。難波の屍体はそこへ葬られたのである。当時は社会主義者の一味が途中を擁して彼の屍体を奪ひ取る計画をしてゐるといふ噂があつたので、当局者は神経を尖らし、色々な事に特別の警戒を施した。私に話をした男は、或日の昼間、仲間と一緒に件《くだん》の共同墓地に連れて行かれ、(刑務所の囲《かこひ》の外で働くかうした受刑者のことを、刑務所用語では外役といふ、)穴を掘らされたが、どうしてこんなに深い穴を掘るのかと、不思議でならなかつた。五寸角の大きな木材も何本か用意されてゐた。埋葬は夜分になつて行はれたが、その時もこの男は仕事を手伝つた。荒川の堤防の上には、提灯をつけた巡査や憲兵が所々にたむろしてゐた。棺は深く地中に埋め、その上を、かねて用意してあつた木材を縦横に組んで堅牢に固め上げ、最後に土砂をかけて仕事を終へたが、その時初めて担当看守から事情を聞かされた。春の彼岸と、秋の彼岸と、毎年十月二十日に行はれる獄中死歿者法会の折とには、いつも外役の者が共同墓地の掃除に行くが、今でも難波大助といふ墓標がありますぜ、などと言つてゐた。私が熱心に聞くものだから、相手は調子に乗つて、もつと事細か
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