め、情状を酌量し、死一等を減じて無期懲役の判決を下すことに、一切の手筈が決まつてゐた。さうすれば、皇室に向つて本気の沙汰で弓矢をひく者は、やはり日本中に一人も居ないのだ、と云ふことになり、更に死一等を減ずることによつて、天皇の名において行はれる裁判の上に、皇室の限りなき仁慈を現はすことも出来る、と考へられたのである。で、判事も検事も弁護士も親兄弟も、みなそのつもりで、一応の安心をしてゐた。ところが、裁判の当日、法廷に立つた難波は、その場に居た総ての人々の予期を破つて、意外にも堂々と自分の変はることなき確信を述べ、最後に声を張り上げてコミンテルン万歳を三唱した。判事も検事も弁護士も、一座の者は尽く色を失ひ、初めて自分たちがだまされてゐたことを悟り、愕然として驚いたが、もはやどうしようもなかつた。かくて難波は、彼の希望通り、年若くして刑場の露と消え去つたのである。(序に言つておくが、コミンテルンは早くから個人に対するテロを排斥してゐる。しかし大正十年代の日本における共産主義の思想はなほ極めて幼稚であつて、コミンテルンの政策などまだ十分には知られて居なかつた。思ふに難波がもつと後の時期に出て
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