い、と言つた。大逆人と目さるべき人間について彼がこのやうな事を書いてゐるのは、難波の態度がよくよく立派なものであつたことを思はしめる。(その文章は、「法窓回顧」とか云ふやうな題で『大阪毎日』に連載されたものの中に在つた、と記憶する。もし好事の人が図書館にでも行つて調べたなら、きつと見付かるだらうが、今の私にはさうした面倒を見る余力がない。)
難波は決して自分の行為を後悔すると言はなかつた。しかしそんな人間が一人でも皇国日本に生まれ出たと云ふことになつては、皇室の尊厳にとつて甚だ忌むべき、由々しき不祥事であつたから、当局者は、裁判を行ふ前、百方手をつくして、被告に悔悟を勧めた。それには有らゆる苦肉の策が施された。難波も最初の中は頑として之に応じなかつたが、彼の最も愛してゐた妹を差し向け、何遍でも彼の面前で泣かしめるやうになつてから、遂に閉口して、ともかく表面上では、当局者の注文通りにしようと約束することになつた。そこで裁判の当日は、先づ被告が、自分の所業は全く間違つて居りました、今では本当に後悔いたして居ります、といふ趣旨の陳述をなし、それによつて、裁判長は悔悛の情顕著なるものありと認
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