る医学部の市川教授を訪ね、そこで所要の旅費を調達した。そんな関係で、事件後市川教授は、裁判所に召喚されて一応の取調を受けたりした。それがもし私であつたならば、「断片」と二重の関係になるので、相当面倒なことになつたかも知れない。しかし難波が近い親戚を差しおいて先づ私の所を訪ねたのは、「断片」の筆者に一脈の友情を感じてゐたためであらう。それを失望させたのは、今考へると、済まなかつた事のやうにも思はれる。
 一旦郷里に帰つた難波は、例のステッキを携へて再び上京し、年末の十二月二十七日、議会の開会式に行幸のあつた折の鹵簿を待ち伏せて、狙ひ撃ちをした。沿道の警戒は例によつて厳重を極めて居たけれども、彼の携へゐたピストルの外形は完全に普通のステッキだつたので、誰も疑ふ者はなかつたのである。丸は鳳輦のガラス窓に的中した。しかしガラスは特別製のものであり、丸は直線的に貫通しなかつたので、玉体には何の御恙もなかつた。
 これが謂はゆる虎の門事件なるものであり、その責を負うて、約三ヶ月前の九月二日、大震災の惨禍の真只中に成立した山本権兵衛内閣は、その日のうちに総辞職をなし、時の警視総監湯浅倉平(後の宮内大
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