来たり、何となく物情騒然たる雰囲気の漂つてゐた頃、一人の青年が吉田二本松の私の寓居をおとづれた。妻が取次に出ると、自分は山口県熊毛郡岩田村の難波といふ者だが、東京から帰国の途中、旅費がなくなつて困つて居るから、一時取り替へてくれぬか、とのことであつた。妻はその時、岩田村といふのは、自分の弟が養子に行つてゐる村の名であるとは思つたが、その親戚に難波といふ家のあることには気付かなかつた。青年は之を先生に見せてくれと言つて、一片の紙片を渡した。私はその時二階の応接間で友人の小島祐馬君と話をしてゐたが、妻の持つて来た紙片を見ると、姓名住所はなく、自分は共産主義者であるがとあるだけで、あとは口頭で言つたのと同じやうなことが、鉛筆で走り書きしてあつた。どうしたものでせうと小島君に相談すると、共産主義者などと書いてなければよいが、スパイみたいな人間でないとも限らぬし、まあ断つた方が無難でせう、との意見であつた。私も尤もと思つてその通りにした。青年は強要もせず、そのまま辞去した。
ずつと後になつて分かつたことだが、この青年が計らずも難波大助であつた。彼は私の所で断られたものだから、次には親戚関係のあ
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