恐らくそれが生れて初めてであったろう、それがひどく私の好奇心をそそったために今でもそこの黒い土の色、そこから出て来た赤い藷の色の印象が、まだ眼に見えるように残っている。私はそんなことで昼間は上機嫌で過したが、やはり日が暮れて来ると、無暗《むやみ》にうちへ帰りたくなった。元来|我儘《わがまま》な子だったので、そう云い出したら無事に寝る見込もなく、とうとう夜になって、叔母は私を私のうちまで送り届けた。
こうした事のあったのは、私のいくつの頃であったろう。泊るなど云ったところから見ると、多分小学校へまだ入学して居なかった頃の事だろうと思われる。ところで私が小学校へ入学したのは、調べて見ると、明治十七年三月、私が満四年五ヶ月になった時だが、これより先き、明治十四年十一月一日に、叔母は玉井家から離縁になって戻り、間もなく十一月二十一日にはまた元の藤村家へ再縁している。それは私が満二年一ヶ月に達した時のことである。して見ると、私がここに書いたような記憶は、私が満二年一ヶ月から四年五ヶ月になるまでの期間に属するものと推定されるのである。私は、近頃まで一緒に住んでいて、今は上海に行っている、自分の孫
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