たのである。しかし後に書くように、画楼の秋影は私のため残念ながらその昔の東山に似ることを得なかった。
雑談を済まして吾々が筆を執り始めると、間もなく昼食時になった。ところがその時青楓氏から、桃山亭の方は夕刻そこで食事して別れることにし、昼は簡単な食事をうちで済ませてくれ、と申出があった。で、私は思い掛けなく再びここの家庭で饗応《きょうおう》にあずかる機会を有ったが、今度はその御馳走が余りにも立派なので、その立派さに比例する不快を感ぜざるを得なかった。私は正月の七種粥《ななくさがゆ》を思い出し、それと著しい対照を呈している今日の饗応ぶりを見て、簡素な待遇が必ずしもここの家風でないことを知った。そして私は、お前一人ならどうでもいいのだが、今日は河田博士に御馳走がしたいので、という意味の無言の挨拶を、その場の雰囲気や夫人の態度から、耳に聞えるほどに感じた。結構な御馳走が次から次へ運ばれるにつれて、私の心は益々《ますます》不快になった。人間は人情を食べる動物である。折角御馳走になりながら、私の舌に長《とこし》えに苦味を残した。それはその後|反芻《はんすう》される毎に、次第に苦味を増すかに覚え
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