《も》ち始めたもののようである。
 その後の十一月の末、私はまた河田博士と共に青楓氏の画房を訪うた。今度上京するのを機会に、昔のように翰墨会《かんぼくかい》を今一度やって見たいというのが博士の希望であり、私も喜んで之に賛成したのであった。吾々《われわれ》は青楓氏の画房で絵を描いたり字を書いたりして一日遊び、昼食は青楓氏の宅の近所にあるという精進料理の桃山亭で済まし、その費用は河田博士が弁ぜられる。そういうことに、予《か》ねて打合せがしてあった。
 その日私は当日の清興を空想しながら、
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十余年前翰墨間
  十余年前翰墨の間、
洛東相会送春還
  洛東相会して春の還るを送る。
今日復逢都府北
  今日復た逢ふ都府の北、
画楼秋影似東山
  画楼の秋影東山に似たり。
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という詩を用意して行った。画楼というのは元来彩色を施した楼閣の意味だろうが、ここでは青楓氏の画室を指したつもりであり、東山《とうざん》というのは京のひがしやまを指したのである。
 漢詩の真似事を始めて間もない頃のこととて、詩は甚だ幼稚だが、実際のところ私はまだそんな期待を抱いてい
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