其の美しさを増してゐる。少くとも漢字と仮名の混用より生ずる醜さから免れてゐる。和歌を万葉仮名で書く人があるのも、紙に書いた上での斯かる醜さを避けて居るのであり、画家が自分の作品に字を題する場合、仮名混りの文章を嫌ふのも、同じ理由からである。象形文字と音符文字と、全然性格を異にする文字を混用しては、どんなに工夫しても美しくは書けない。文字そのものが混雑して居るからである。漢字と仮名を混用した和歌や俳句が普通には小さな短冊に書かれ、漢詩が大きな画箋紙などに大書されるのと趣を異にしてゐるのは、その関係からである。
支那でのみ書道なるものが発達したのも、象形文字の美しさからである。ローマ字国では字を書いて楽む人はない。
漢字の魅力は、日本人が未だに漢詩を作る原因の一つである。
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七年不到楓橋寺 七年到らず楓橋の寺、
客枕依然半夜鐘 客枕依然、半夜の鐘。
風月未須輕感慨 風月未だ軽々しく感慨するを須ゐず、
巴山此去尚千里 巴山|此《ここ》を去る尚ほ千里。
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これは宿楓橋と題する陸放
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