通の日本人には読みにくき物を作り、次に韻字平仄に骨を折つて、本場のチンプンカンプンに珍重されず、日本読みには無関係、何にもならぬ話。」
[#ここで字下げ終わり]
放庵は何にもならぬと云つてゐるが、しかし今の日本では、漢詩作法などいふ入門書が依然として新たに刊行されて居り、詩吟など云ふものも(私はこの詩吟なるものの調子を好んでゐる訳ではないが)相変らず流行してゐる。この事実は、ただ馬鹿げた話だとけなしただけでは説明がつかない。
畢竟、日本読みにする漢詩は、日本の詩であつて、支那の詩ではないのだ。かうした日本の漢詩を、支那人が支那の詩として見た場合、依然として鑑賞に値すれば、これに越したことはないが、しかしさうでないからと云つて、日本読みにするために作られた日本の漢詩は、日本の詩として依然独立の存在価値を保つことを妨げないのである。
○
[#ここから3字下げ]
をかにきて ほがらかに
なくやうぐひすありしひの
たにまのゆきにまじへたる
こほるなみだはしるひとぞしる
[#ここで字下げ終わり]
佐藤春夫のこの詩は、仮名ばかりで書かれてあることによつて
前へ
次へ
全44ページ中37ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
河上 肇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング