四首を採録し居れども、遂にこの詩を採らず。
○
漢詩を日本読みにする場合、送り仮名の当不当は、往々にして死活の問題となる。例へば、唐詩選の岩波文庫本には、岑参の詩を、
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東去長安萬里餘 東のかた長安を去る万里余り
故人那惜一行書 故人那ぞ惜まん[#「惜まん」に白丸傍点]一行の書。
玉關西望腸堪斷 玉関西望すれば腸断ゆるに堪へたり
況復明朝是歳除 況や復た明朝是れ歳除なるをや。
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と読ましてあるが、この詩の第二句は「故人那ぞ惜まん[#「惜まん」に白丸傍点]」ではなく、「故人那ぞ惜むや[#「惜むや」に白丸傍点]」である。「惜むや」を「惜まん」と読むだけで、ここでは全体の意味が全く駄目になる。岑参のこの詩は「玉関にて長安の李主簿に寄す」と題せるもので、詩中に故人と云へるは即ち李主簿のことであり、この友人から一向に手紙が来ないために、「故人那ぞ一行の書をすら惜むや」と訴へたのである。
絶句の第二句は承句と称されてゐるやうに、起句を承けたものであるから、絶句を日本読みにする際には、多
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