丸傍点]の感じ、それを互に手を取つて話し合ふことの出来るのは、何時《いつ》の頃のことであらうぞ、と感歎したのであるから、私は敢て「巴山夜雨の時を[#「の時を」に白丸傍点]話《かた》るべき」と読みたく思ふのである。
 「共に云々」と云ふのは、細君と手を取つての意。共に西※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]の燭を剪りてなどいふ言葉は、極めて親しき間柄を示し、あかの他人を指したものとは思はれない。「却て云々」と云ふは、身は長安に帰りながら心は遠く巴蜀の地に馳せての意。いづれも只だ調子のために置かれただけのものではない。
 なほ巴山夜雨の四字は、同じ字が第二句と第四句とに重ね用ひられてゐるが、これは必然の重複であり、かかる重複によつて、今の情景を将来再びまざまざと想ひいだすであらうことが示唆されて居るのであり、おのづからまた、当時作者は西※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]に燭を剪つて此の詩を賦したであらうことが想像される訳でもある。
 私は以上の如く解釈することによつて、今も尚ほ、この詩は稀に見るいい絶句だと思つてゐる。
 小杉放庵の『唐詩及唐詩人』は、李商隠の詩
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