これを「何《いつ》か当《まさ》に共に西※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]の燭を剪《き》りて、却《かへつ》て巴山夜雨の時を話《かた》るべき」と読む。(陳延傑の『陸放翁詩鈔注』には放翁の詩「何当出清詩、千古続遺唱」に註して、「何当、何時也、李商隠詩、何当共剪西窓燭」としてある。もし之に従へば何当をいつかと読ますことにならう。)文庫本には「巴山夜雨の時を話るべきか[#「か」に白丸傍点]」と読ましてあるが、何《いつ》か[#「か」に白丸傍点]当に云々と続いて居るのだから、「話るべきか[#「か」に白丸傍点]」の「か」は蛇足であり、この蛇足のために調子はひどく崩れる。簡野道明本には、これを「何《いつ》か当に共に西※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]の燭を剪りて、却つて巴山夜雨を話《ワ》する時なるべき[#「時なるべき」に白丸傍点]」と読ませ、「坊本に巴山夜雨の時を話すと訓読するは非なり。何時の二字を分けて、転結二句の上と下とへ置いたのである。」と註してあるが、私は之に従ふことを欲しない。しとしとと雨ふる秋の夜、細君から来た手紙を手にして巴山に対した其の時[#「其の時」に白
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