余《われ》は青山を望みて帰る。
雲山從此別 雲山これより別かる、
涙濕薜蘿衣 涙は湿す薜蘿《ヘイラ》の衣《ころも》。
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を見るに、殊にこの場合には、起承二句が対句になつて居るから、ぜひ「君は青雲に登りて去り[#「去り」に白丸傍点]」と、次へ読み続けるやうにしたいものである。概して二句対偶を成せるものは、どんな所に置かれて居ようと、(律詩にあつては、第三句と第四句、第五句と第六句が、いつでも対句になつてゐるが、さう云つた場合でも、)大概は二つの句を読み続けた方がよくなつて居るものなのである。
同じやうな例を今一つ挙げて置かう。幸田露伴校閲としてある岩波文庫本の李太白詩選を見ると、越女詞五首の第五を、
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鏡湖水如月 鏡湖、水月の如し[#「如し」に白丸傍点]、
耶溪女如雪 耶渓、女雪の如し。
新粧蕩新波 新粧、新波蕩く、
光景兩奇絶 光景、両つながら奇絶。
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と読ましてある。しかしこの場合でも、第一句は「月の如く[#「如く」に白丸傍点]」として、呼吸を第二句まで続けたいものである。私は全体の詩を、「鏡湖の水は月の如く[#「如く」に白丸傍点]、耶渓の女は雪の如し。新粧新波に蕩き[#「蕩き」に白丸傍点]、光景両つながら奇絶。」と読む。
既にこの越女詞にもその例を見るやうに、第一句と第二句とを読み続けると同じ関係が、また屡※[#二の字点、1−2−22]第三句と第四句との間に存する。一例を挙ぐれば、李太白の有名な早発白帝城の詩は、岩波文庫本を見ると、
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朝辭白帝彩雲間 朝に白帝を辞す彩雲の間、
千里江陵一日還 千里の江陵一日に還る。
兩岸猿聲啼不住 両岸猿声啼いて住まらず[#「住まらず」に白丸傍点]、
輕舟已過萬重山 軽舟已に過ぐ万重の山。
[#ここで字下げ終わり]
と読ましてあるが、これなども、第三句はやはり「両岸の猿声啼いて住《とど》まらざるに[#「まらざるに」に白丸傍点]」と読んで、呼吸をそのまま結句まで続けたいと思ふ。
以上述べた所に当てはまる例を、更に二つだけ掲げておく。
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早行 劉子※[#「栩のつくり/軍」、第3水準1−90−33]
村鷄已報晨 村鶏已に晨を報じ[#「報じ」に白丸傍点]、
曉月漸無色 暁月漸く色無し。
行人馬上去 行人馬上に去り[#「去り」に白丸傍点]、
殘燈照空驛 残灯空駅を照せり。
曉霽 司馬光
夢覺繁聲絶 夢覚めて繁声絶え[#「絶え」に白丸傍点]、
林光透隙來 林光隙を透して来たる。
開門驚烏鳥 門を開きて烏鳥を驚かせば[#「驚かせば」に白丸傍点]、
餘滴墮蒼苔 余滴蒼苔に堕ちぬ。
[#ここで字下げ終わり]
○
漢詩を日本読みにするについての注意の続き。
漢詩を日本読みにする場合、動詞の過去形は、時により絶対に必要である。例へば、唐詩選にある趙※[#「古+(暇−日)」、241−12]の江楼書感を、岩波文庫本では、
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獨上江樓思渺然 独り江楼に上りて思ひ渺然、
月光如水水連天 月光水の如く水天に連る。
同來翫月人何處 同く来りて月を翫ぶ[#「翫ぶ」に白丸傍点]の人何れの処ぞ、
風景依稀似去年 風景依稀として去年に似たり。
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と読ませてあるが、「翫ぶ[#「ぶ」に白丸傍点]」は「翫びし[#「びし」に白丸傍点]」と読ませなければ、結句が活きない。
場合によつては、推量の助動詞を使ふことがまた必要である。例へば、同じく唐詩選にある李益の※[#「さんずい+卞」、第3水準1−86−52]河曲を、岩波文庫本では、
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※[#「さんずい+卞」、第3水準1−86−52]水東流無限春 ※[#「さんずい+卞」、第3水準1−86−52]水東流す限りなきの春、
隋家宮闕已成塵 隋家の宮闕已に塵と成る。
行人莫上長堤望 行人長堤に上りて望むこと莫れ、
風起楊花愁殺人 風起れ[#「れ」に白丸傍点]ば楊花人を愁殺す[#「す」に白丸傍点]。
[#ここで字下げ終わり]
と読ませてあるけれども、結句は「風起ら[#「ら」に白丸傍点]ば楊花人を愁殺せん[#「せん」に白丸傍点]」と読ませたいものである。
かうした例は、拾ひ出して来れば際限なくあるが、ここには今一つ、陸放翁の詞(これは詩でなく謂はゆる詩余である)を一首だけ掲げておく。この一首には丁度、推量の助動詞と過去動詞とを用ふべき句が、前後にふくまれてゐるのである。
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