ていた。彼は野生になったティモシーの茎を抜き取って、その根もとのやわらかい甘味を噛《か》みしめなどしながら父のあとに続いた。そして彼の後ろから来る小作人たちのささやきのような会話に耳を傾けた。
「夏作があんなだに、秋作がこれじゃ困ったもんだ」
「不作つづきだからやりきれないよ全く」
「そうだ」
 ぼそぼそとしたひとりごとのような声だったけれども、それは明らかに彼の注意を引くように目論《もくろ》まれているのだと彼は知った。それらの言葉は父に向けてはうっかり言えない言葉に違いない。しかし彼ならばそれを耳にはさんで黙っているだろうし、そしてそれが結局小作人らにとって不為めにはならないのを小作人たちは知りぬいているらしかった。彼には父の態度と同様、小作人たちのこうした態度も快くなかった。東京を発《た》つ時からなんとなくいらいらしていた心の底が、いよいよはっきり焦《い》らつくのを彼は感じた。そして彼はすべてのことを思うままにぶちまけることのできない自分をその時も歯痒《はが》ゆく思った。
 事務所にはもう赤々とランプがともされていて、監督の母親や内儀《おかみ》さんが戸の外に走り出て彼らを出迎えた。
前へ 次へ
全45ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング