の中の石油はまったく尽きはてて、灯は芯《しん》だけが含んでいる油で、盛んな油煙を吐きだしながら、真黄色になってともっていた。芯の先には大きな丁子《ちょうじ》ができて、もぐさのように燃えていた。気がついてみると、小さな部屋の中はむせるような瓦斯《ガス》でいっぱいになっていた。それに気がつくと清逸はきゅうに咳を喉許《のどもと》に感じて、思わず鼻先で手をふりながら座を立ち上った。
純次は何事も知らぬげに寝つづけていた。
石油を母屋《おもや》まで取りに行くにはいろいろの点で不都合だった。第一清逸は咳が襲ってきそうなのを恐れた。しかも今、清逸の頭の中には表現すべきものが群がり集まって、はけ口を求めながら眼まぐるしく渦を巻いているのだ。この機会を逸したならば、その思想のあるものは永遠に彼には帰ってこないかもしれないのだ。清逸は慌《あわ》てて机の前に坐ってみたが、灯の寿命はもう五分とは保つように見えなかった。芯をねじり上げてみた。と、光のない真黄色な灯がきゅうに大きくなって、ホヤの内部を真黒にくすべながら、物の怪《け》のように燃え立った。
もうだめだ。清逸は思いきって芯を下げてからホヤの口に気息《いき》をふきこんだ。ぶすぶすと臭い香いを立てて燃える丁子の紅い火だけを残して灯は消えてしまった。煙ったい暗黒の中に丁子だけがかっちりと燃え残っていた。絶望した清逸は憤りを胸に漲《みなぎ》らしながら、それを睨《にら》みつけて坐りつづけていた。
「おい純次起きろ。起きるんだ、おい」
と清逸は弟の蒲団に手をかけてゆすぶった。しばらく何事も知らずにいた純次は気がつくといきなりがばと暗闇の中に跳び起きたらしかった。
「純次」
返事がない。
「おい純次。お前|母屋《おもや》まで行って、ラムプの油をさしてこい」
「ラムプをどうする?」
「このラムプに石油をさしてくるんだ。行ってこい」
清逸は我れ知らず威丈《いた》け高になって、そう厳命した。
「お前、行ってくればいいでねえか」
薄ぼんやりと、しかもしぶとい声で純次がこう答えた。清逸は夜気に触れると咳が出るし、石油のありかもよく知らないから、行ってきてくれと頼むべきだったのだ。しかしそんなことをいうのはまどろしかった。
「ばか、手前は兄のいうことを聞け」
弟は何んとも答えなかった。少しばかりの沈黙が続いた。と思うと純次はいきなり立ち上って
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