しゃん」に傍点]としているように見えても、変に誘惑的な隙を見せる。おまけにこの女は少し露骨すぎる。星野に対してはあの近づきがたいような頭の良さと、色の青白い華車《きゃしゃ》な姿とに興味をそそられているらしいし、俺を見ると、遠慮っ気のない、開けっ放しな頑強さにつけ入ろうとしている。そのくせいい加減なところに埒を造って、そこから先にはなかなか出てこようとはしない。いわば星野でも、俺でも、そのほかあの女の側に来る若い男たちは、一人残らず体《てい》のいいおもちゃにされているんだ。おもちゃにされるのが不愉快じゃないが、それですまされたのでは間尺《ましゃく》に合わない。埒に手をかけて揺ぶってやるくらいの事はしても、そしてこの女がぎょっとして後すざりをするくらいなことになっても、薬にはなるとも毒にはなるまい。渡瀬は片眼をかがやかしながら、膳から猪口を取り上げて、無遠慮に奥さんの方にそれをつきだした。奥さんは失礼だという顔もせずに、すぐに銚子を近づけた。
「奥さん、あなたも杯を持ってきませんか。一人で飲んでるんじゃ気がひけますよ」
渡瀬はそう無遠慮に出かけてみた。
「私、飲めないもの」
酌をしながら、美しい眼が下向きに、滴り落ちる酒にそそがれて、上瞼の長い睫毛《まつげ》のやや上反りになったのが、黒い瞳のほほ笑みを隠した。やや荒《すさ》んだ声で言われた下卑たその言葉と、その時渡瀬の眼に映った奥さんの睫毛《まつげ》の初々しさとの不調和さが、渡瀬を妙に調子づかせた。
「飲めないことがあるものか、始終晩酌の御相伴《ごしょうばん》はやっているくせに」
「じゃそれで一杯いただくわ」
渡瀬はこりゃと思った。埒がゆさゆさと揺《ゆす》ぶられても、この女は逃げを張らないのみか、一と足こっちに近づこうとするらしい。構えるように膝の上に上体を立てなおして、企《たくら》みもしないのに、肩から、膝の上に上向きに重ねた手の平までの、やや血肥りな腕に美しい線を作って、ほほ笑んだ瞳をそのままこちらに向けて、小首をかしげるようにしたその姿は、自分のいいだした言葉、しようとしていることを、まったく知らない無邪気《むじゃき》さかとみえるほど平気なものだった。渡瀬に残されたただ一つのことは、どたん場で背負投げを喰わない用心だけだ。
「いいんですか」
「何がよ」
すぐこういう答えが出た。
「ははは、何がっていわれれば
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