る。
 仙子氏はまた自分の心を、若しくは生命力を外界の影響にわづらはされることなく見つめることの出來た一人だと思ふ。氏の藝術は大體に於て自然主義風な立場の上に創造されてゐるといつていい。而かも氏は主義に依據するよりも、それ以上にいつでも自分の心に依據してゐた。だから作品の内容には、いつでも機械的な仕組み以上に濕ひのあるハートが働いてゐる。如何に皮肉に物を見てゐる場合でも、如何に冷靜に生活を寫してゐる場合でも、その底には不思議にも新鮮な生命よりの聲が潜んでゐる。一箇の無性物の描寫に於ても、例へば、手の平に乘せた生れたての鷄卵を「手の平に粉を吹くばかりに綺麗な恰好のよい玉子」といつたり、冬の夜寒の病室の電燈を「電燈は夜の世界から完全にこの一室を占領したのに滿足したらしく、一時自信をもつてその光輝を強めたけれども、やがて彼はその己の仕事になれた。さうして最早一定の動かない光をのみ、十分な安心と僅なる倦怠との中に發散した。恰も私一人の上には、それで十分であると見きはめをつけたかの如く。」といつてゐるのなぞは、無數なかゝる例の中から、勝手に一二を引拔いて見たに過ぎぬ。
 明治以來出現した女流作家
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