的な女性といふものから脱して見事な人になつてゐる。女流作家として仙子氏をまつことはもう出來ない。
違つた意味に於て「醉ひたる商人」「お三輪」の如き作品も亦深く尊重されなければならないと思ふ。それは人間性の習作と見て素晴らしい效果を收めてゐる。あれだけにしつかり物を見る眼があつて、自己への徹底が強い響を傳へるのだなといふことを首肯させる。輕妙に見えるユーモアと皮肉との後ろに、作者は個性と運命とに對する深い洞察と同情とを寄せてゐるではないか。
私は一々の作品に對してもういふことをしまい。仙子氏はその心底に本當の藝術家の持たねばならぬ誠實を持つてゐた。而してその誠實が年を追ふに從つて段々と光を現はして來てゐる。この作者はいゝ加減な所で凋落すべき人ではなかつたに違ひない。年を經れば經るほど本當の藝術を創り上ぐべき素質を十分に備へてゐたことが、その作品によつて窺はれる。十分の才能を徹視の支配の下におき、女性としては珍らしい程の徹視力を自分の性格と結びつけてゐたのはこの作者だつた。だからその藝術が成長するに從つて益根柢の方へと深まつて行つたのだ。この點に於て彼女の道は極めて安全だつた。而かもそ
前へ
次へ
全11ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
有島 武郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング